牛田山の縦走は8年以上前(登山を始めた当初)から企てていたが、
登山口と下山口が離れすぎているので、今までなかなか実現しなかった。
8年前から、入山は東照宮口、下山は不動院口と決めていていたので、今回もその通りのトレースでした。
実は先日から行こう行こうと思いながら、
1度目は体調が悪く、2度目は早起きしたにもからわらず何故か(心の)エンジンがかからず、3度目の正直でした。
と言う事で、
平日と同じ時間に起き、いつもと同じ時間のJRに乗り、広島駅着!
まず、とぼとぼと東照宮を目指します。
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東照宮。
言わずと知れた、徳川家康が祭られています。
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長い階段を登り終えると、
咲き始めたばかりのソメイヨシノが迎えてくれる。
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こちらは見事なシダレザクラ。
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境内の右手から車道に出てすぐ先に登山口。
ここまで比高30mはあります。
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金光稲荷神社の参詣コースとなってます。
金光稲荷神社は「東照宮の境内社」との事ですが、
どういう意味?
上記写真に写っているのが本社で、
稜線近くに奥宮があります。
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ハイキングコース案内板。
牛田山(二葉山、尾長山などを含む)全域の
登山口、登山道が載っています。
←拡大
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これから入山!
8:40スタートです。
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本社と奥宮の間に○○稲荷社が6つある様です。
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東照公遺訓とありますが、
要は「家康の言葉」です。
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スミレも咲く季節になりました。
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不自由を常と思へば不足なし
心に望(のぞみ)おこらば 困窮
したる時を思い出すべし
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勝事(かつこと)ばかり知りて
まくる(負ける)事をしらざれば
害 其の身にいたる
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堪忍は無事長久の基(もとい)
いかりは敵とおもへ
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己を責めて人をせむるな
及ばざるは
過ぎたるよりまされり
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奥宮到着!
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奥宮右手の大岩に乗ってみる。
まだ展望はイマイチ!
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上記から1分で尾根に取り付くと、この案内板。
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その高射砲跡。
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これも...
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これも...
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そこからの展望。(これだけ)
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二葉山方面に向かうと鞍部がこんな地形に...
奥宮をパスして直接ここに出れる様です。
高射砲跡もパスする事になりますが...
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ここが先の案内板にあった兵舎跡かな?
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二葉山山頂到着!
ここに来たのは小学校以来かな...(^^)
登山口からの比高は90mです。
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右手には展望のいい岩場が...
お弁当ポイントにいいかも。
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展望図。
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広島駅、比治山方面の展望。
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その左手の方の展望。
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似島をズーム!
この安芸小富士には昨年秋に登りました。
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絵下山をズーム!
この稜線は3年前に縦走しました。
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ここのソメイヨシノは全部蕾です。
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こんな感じ。
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よく見ると、ちょっとだけ咲いてます。
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これは別品種かな。
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今は学校では「平和記念塔」と習うようですが、
昔は「仏舎利塔」と呼んでました。
地図などには「平和記念塔(仏舎利塔)」
となってます。
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こちらには「二葉山平和塔」となってます。
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今から向かう尾長山を望む。
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まずこちらから車道を下ります。
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大きく右に曲がりながら2分も下ると、
左折して一旦山道に入ります。
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そして2分で天神峠付近に下りてきます。
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目線を上げると、正面に尾長山。
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上記中央左のコーポの手前左から再入山します。
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車道を歩きながら左手を見ると牛田山が望めます。
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天神峠。
五叉路になってますが、正面上りの道を採ります。
上りはこの道と今来た道だけです。
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すぐにこの案内板。
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更に3分先に天神峠東口(登山口)。
ここから再入山します。
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左を向くと広島南アルプスの稜線や宗箇山。
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その左、先程の二葉山。
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仏舎利塔をズーム!
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ずーっと右手には火山、武田山の稜線。
武田山は城跡もあって何度も登ってます。
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右手に先程のコーポを見ながら
緩やかに登り始めますが...
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すぐに急登になり、山頂まで続きます。
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天神峠東口から12分で、
尾長山山頂到着!
比高は、
天神峠東口から85m、
天神峠からは110mです。
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先ほどまで居た二葉山を見下ろします。
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上記、中央左奥をズーム!
宮島です。
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右を向くと広島南アルプスの稜線ですが、
先程よりも高度感が出てます。
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中央奥が大野権現山。
右手前が鈴ヶ峰です。
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くつろげる岩場もあります。
さあ、縦走開始です!
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縦走開始直後に分岐。
あれっ!
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左が直線的で右が右折の感じです。
方向的にも左が正解っぽく見えますが、メイン道は右で、左はあまり踏まれていない。
展望が無いので少し右に移動してみると、左の道の方向は深い谷に向かって、
右は尾根続きの様にも見えるので、右へ...
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すぐにT字路。
ここを左折の様です。
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上記案内板を振り返って見る。
尾長山方向から来て、牛田山方向に向かいます。
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縦走路は軽いアップダウンはあるものの
いい道が続きます。
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鉄塔下を潜ります。
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牛田東口分岐を通過。
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すぐに大内越(おおちご)口分岐を通過。
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気の早いコバノミツバツツジが...
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小ピーク通過。
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コバノミツバツツジの冬芽。かな?
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更にいい道が続きます。(o´▽`o)
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175.9m峰。
ちょっと休憩します。
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ここは尾長山~牛田山間で唯一、
樹間越しでない展望が得られます。
これは東側の展望。
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ヒサカキ。
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ツツジ。
園芸種かな?
では先を急ぐ。
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中山口分岐を通過。
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そこにシルバー専用の腰掛がある。
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処々のピークには何故か土管が埋めてある。
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いい道は続く。
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ザイフリボクの新芽。
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ザイフリボクの新芽は白っぽいので、
遠目には白い花が咲いてる様です。
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こちらは赤味がかったヒサカキ。
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中山北口分岐には、何故か傘が掛けてある。
雨が降ったら使ってね。って事なのでしょう。
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戸坂南口分岐を通過。
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ここで分岐。
左の平行道と右の階段の登り。
よく分からないが、そろそろ山頂も近いので、
右の登りを選択。
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竹の手摺りが台湾の登山道を思い出す。
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テーブル、椅子、鯉のぼり...
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ミッキーとプーさんまで... (^^;)
登山口も多くあり、広範囲から登れ、
地域密着タイプの山であり、
ファミリー登山などを考えると、
こんなのもありかな...
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会長用 シルバー席。
どこの会長?
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10:30、やっと牛田山山頂到着です。
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宮島方面の展望。
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ちょっと左を向く。
奥に江田島、似島、
手前に尾長山、二葉山などが望めます。
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その展望図。
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反対側を向くと...
武田山、荒谷山、阿武山などが望めます。
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阿武山をズーム!
昨年の災害跡が生々しい。
この翌日この近くを通りましたが、
砂防ダムの建設が着々と進んでました。
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少し右を向くと、松笠山。
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山頂の風景。
実際はもっと広いですが...
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戸坂城跡の説明板。
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宮島をズーム!
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似島をズーム!
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仏舎利塔をズーム!
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絵下山を少しズーム!
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梅かな?
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これも...
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下山前に記念の1枚!
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下山開始1分で、早稲田小学校口分岐。
早稲田小学校口が牛田山山頂に
一番近い登山口ではないでしょうか。
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実は、更にこの手前で左から上がって来る道がありましたが(標識は無し)、
これが、戸坂城跡の説明板にあった「戸坂入道道海の墓」への道かな?
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神田山荘方面、戸坂方面分岐。
右(戸坂方面)へ...
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見覚えのある岩だ!
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戸坂口分岐を通過。
右(戸坂口)は昔通った道です。
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標識の無い分岐。
多分左はもうひとつの不動院口に向かうのかな?
メイン道の右へ...
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不動院口分岐。左折します。
直進は「戸坂くるめ木」とあるが、通れるのかな?
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上記左折すると、山くさい道に...
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この後すぐにメイン道が左へカーブし、直進に踏み後が...
左へカーブした後は道が無い! 直進の踏み後の方が正解かな?
などと迷っているうちに、左へカーブした先に緑のロープを発見!
踏み跡すらあやしい道にロープが張ってあり、導いてくれます。
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そのロープの道。
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すぐに谷筋に出る。
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そして民家が...
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11:25、下山しました。
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そこの案内板。
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ここから不動院を目指します。
しばらく道なりに行けばよかったのですが、途中、正面に認識になかった階段が...
思わず左折してしまい、遠回りに...(´_`;)
不動院へは、表の参道を通って門に至ってもいいのですが、
途中で右折、狭い路地(幅1mくらい)を通って、ショートカットで門の横にでる事も出来ます。
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この路地を通って来ました。
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不動院のご案内。
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不動院所在の文化財。
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楼門。
重要文化財です。
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右に「あ」
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左に「うん」
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楼門を潜って、正面に国宝の金堂。
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その右手に鐘楼。
これも重要文化財です。
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池の畔にハクモクレン。
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1段上の墓所に上がるとこの案内板。
そして更に上がる...
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古い宝印塔が並ぶ。
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「太閤豊臣秀吉公の遺髪の墓」
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「武田刑部少輔之墓」
武田信実の事の様です。
信実は安芸武田氏9代、
大内・毛利元就軍に滅ぼされた、
最後の銀山城主武田氏です。
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こちらにも宝印塔が並ぶ。
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「中興開山恵瓊の墓」
安国寺恵瓊の事です。
恵瓊は一度衰退した不動院を立て直した。
毛利氏の外交僧として秀吉との橋渡しをするが、
関ヶ原合戦では西軍に属し、その後打ち首となる。
秀吉に大名に取り立てられたとう説もある。
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「広島城主 福島正則の墓」
家康に改易されたと認識していたが、どうも、
家康の死後に、秀忠によって改易された様です。
正則は改易後、信濃、越後の辺りに減封され、
そちらで亡くなっている様なので、
これは正則を偲んで
勝手に建てたものではないでしょうか?
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ここの桜は他より少し早い様です。
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墓所の真ん中に...
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池を見下ろす。
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金堂を横から...
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楼門を見下ろす。
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青空に映えるハクモクレン。
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最後に楼門を潜り返し...
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不動院を後にします。
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(不動院)
足利尊氏、直義兄弟が諸国に設立した安国寺の一寺。安芸安国寺。(薬師如来を本尊とする。)
安芸国守護武田氏の菩提寺として繁栄したが、武田氏の衰退と伴に安芸安国寺も一時衰退したが、
毛利氏の外交僧安国寺恵瓊により立て直された。
関ヶ原合戦で西軍敗退後、毛利氏転封、恵瓊斬首となった後は、
福島正則が入封、その祈祷僧である宥珍が安国寺に入った。
その際、禅宗から真言宗に改め、不動明王を祭り「不動院」とした。
福島正則改易後は、替わって入封した浅野氏の保護を受ける事になる。
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コンビニに寄り道しながらも、
約40分で、戸坂駅まで歩いてきました。
12時40分のJRで帰途に就きます。
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海側(安芸小富士)から見る二葉山~尾長山~牛田山の全景
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東照宮は2度目の訪問。前回は下の娘の七五三の折でしたが、今回はほぼ通過しただけ...
二葉山は、小学校以来の登頂。小学校の時、遠足や社会の時間に登った記憶があります。
尾長山は初登頂、牛田山は2度目、前回は戸坂からの短距離ピストンでした。
不動院も2度目ですが、○○○○の墓などがあり、もう一度確認の意味でも訪問したかったのですが、
今回、牛田山縦走と合わせて実現出来ました。
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