(まとめ・総評)
元就の孫、毛利輝元(隆元の嫡子)の築城。
輝元が秀吉の大阪城の影響を受け、政治、経済の発展を見据え、山陽道、海沿いのこの地に建設、
吉田の郡山城から移った。元就死去の20年後の事。
築城からわずか9年で関ヶ原合戦、防長二州に減封された毛利氏に代わり、福島正則が入る。
福島正則もわずか19年で改易となり、紀伊国和歌山より浅野長晟が入る。
(宗箇流で有名な上田宗箇は、長晟の家臣として、追従して広島に入る。)
以後、版籍奉還までの250年間、浅野氏が城主を勤める。
(忠臣蔵で有名な赤穂浅野氏はこの分家)
1591年(天正19年)、築城。
1874年(明治 7年)、火災により天守閣などを残し、消失。
1945年(昭和20年)、原爆により全て壊滅。
1951年(昭和26年)、広島国体に際し、仮設天守閣を建設、国体終了後に解体。
1958年(昭和33年)、広島復興大博覧会に際し、天守閣復元。
1994年(平成 6年)、二の丸復元。
私が25年前に天守閣に登った時は、確か木造だった記憶があります。
そして、4年前に久しぶりに登ってみれば、完全に鉄筋化されていました。
そういえばその少し前に、しばらく足場が組まれ、工事してた様な...
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