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北東側(上深川側)から入山。
直進が犬走り、右上が登山道。
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土塁の道
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土塁の道(その2)
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岩の門かな?
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岩の門跡
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この石郡も明らかに何かの跡。
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これも門かな?
いくつか郭があるので、
門があちこちにあってもおかしくない。
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石塁跡
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尾根道最大の郭跡の平坦部
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数メートル下の方に荒れた道の様な平坦部があります。
帯郭でしょうか?
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堀切
左右に堀の跡
当時は真中の道は無かったはず...
※敵の侵入を防ぐためのもの。
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堀切(その2)
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本丸城郭跡の石垣(山頂)
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本丸城郭跡の石垣上
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木ノ宗山城の説明
「芸藩通志」には吉川興経が築いたとありますが、
山麓に幽閉されていたはずなので、
ちょっと真実味に欠けるかも...
他にも奥西仲綱などの名もあがっていて、
はっきりとは分かっていません。
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阿武山(八木城跡)
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二ヶ城山(二ツ城跡)
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南西側(福田側)に下山。
いきなり急な下りが続く。
振り返ると、石段跡かな?
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ここにも石がいっぱい...
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通り過ぎて振り返ると、
やはり石段跡か?
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銅剣銅鐸出土地と憩の森方面分岐の郭跡。
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その近くから振り返って山頂を望む。
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上深川側から木ノ宗山全貌。
マンションの向こう辺りから入山し、
右端ちょっと左の辺りが山頂。
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吉川興経の墓(JR上深川駅のすぐ北側)
興経は毛利元就三男元春の吉川家相続に際して、
当主を廃されこの地に隠居(幽閉)した。
後の憂いを絶つ為、
元就の指示で熊谷信直の刺客により誅殺される。
これは胴塚です。
首塚は日山城跡の火野山山麓にあります。
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その説明板。
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千法師(興経の子)の墓
(JR上深川駅東のトンネルの上)
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(まとめ・総評)
まず、季節の違う写真が入り混じってますが、ご了承下さい。
どの方向から取り付いても急峻な山で、郭群、土塁、石塁、堀切、竪堀等に守られて堅固な城です。
築城者には、吉川興経、奥西仲綱などの名があがっていますが、定かではありません。
(登山日記参考)
2006年 4月 3日(月)
2006年 4月 9日(日)
2006年 4月20日(木)
2006年 5月 1日(月)
2006年 7月 7日(金)
2007年 3月 3日(土)
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