siro  日山城跡(ひやまじょう)、比高290m
場所広島県山県郡北広島町(千代田地区)中山
訪問日2006年11月7日(火)
備考吉川元春(元就三男)が吉川氏を相続した際入った城
地形図の表示
2012.4.7版


国道沿いにある案内板。
常仙寺跡(吉川興経墓所)下にある案内板。
ここに車を停めます。
その横に地形図。
汚れててよく分からない。
石段跡。
前半は沢沿いを登って行く。
幾つか小さな滝がある。
沢沿いの終わり辺り右手にある竪堀を見上げる。
その隣にもう一本竪堀。
中城跡。
そこにある説明板。
右奥には石塁跡。
中城跡奥から右下に走る竪堀。
大岩が...
姫路が丸。
ここから先は腰の高さくらいの笹を
掻き分けながら進む。
「一升水 20m下」の表示。
気を抜くと滑り落ちそうな急坂(竪堀)を、
慎重に30mくらい?降りてみたが、
何も無かったので引き返す。(T_T)
その竪堀を見下ろす。(荒れて分かり難い。)
吉川氏館跡下の段。
吉川氏館跡。
右側に土塁跡。
その奥の郭にも土塁跡。
本丸跡。

背丈以上のススキに覆われている。
目の前はススキしか見えないので、
写真は木によじ登って撮った。

道無き道をススキを掻き分けて横断したが、
ここで昼食をとる気になれないので、
諦めて下山する。
戻る途中、
腰の高さくらいの笹で、
どこが道だか分からないくらい荒れている。
先ほどの大岩の近くで...
唯一の展望。(東側)
北東側の展望。
中央ちょっと下に虹が見える。
この日、終始天気雨が降ったり止んだりしていた。
風も強く、どこやらでは竜巻も発生したらしい。
石垣跡。
矢穴の跡も見られる。
下山して常仙寺跡(吉川興経墓所)に向かう。
2分程急坂の階段を登る。
常仙寺跡(吉川興経墓所)の案内板。
吉川興経墓所。
中に入ってみる。
箒があったので掃除してみた。
日山城全景。(小倉山城跡より'06.10.25撮影)
吉川元春館跡にある案内板。
石垣の上が館跡。
石垣の奥の方に門跡がある。
門の外にある説明板。
石垣の説明。
門内にある説明板。
門内全景。
左奥の建物は台所跡(復元)。
建物跡。
その建物の門と塀跡の説明。
井戸跡。
井戸跡の説明。
庭園跡。
庭園跡の説明。
便所跡。
便所跡の説明。
暗渠跡。
暗渠跡の説明。
台所跡内部。
台所跡の説明。
堀跡。
堀跡の説明。
館跡奥にある説明板。
林の奥に吉川元春墓所があるが、
見落としてしまいました。(T_T)
(まとめ・総評)
吉川家10代目当主興経が山県表の毛利領を牽制する為に築城、本拠とする。
(毛利氏と決別の意志を見せる。しいては大内側から尼子側に寝返る事。)
その為、庶家吉川経世や毛利元就らに廃され、元就三男元春が11代目当主となって入る。
元春三男広元が月山富田城に拠点を移すまで、3代41年に渡り大朝の地を支配した。
「日山城」の名前は、尼子氏の「月山富田城」に対抗して付けられたとも言われます。
火野山の南西麓には、万徳院跡、吉川元春館跡等が残る。

千代田から国道261号線を北上9.5km、左に日山城跡の案内板があります。
左折して1分も行くと日山城跡案内板と常仙寺跡入口、駐車場スペースがあります。
万徳院跡、吉川元春館跡は、ここから国道261号線を南下、国道433号線を西へ5km、
右に万徳院跡、左に吉川元春館跡があります。

駐車場からしばらく行くと沢沿いの道になり、途中から尾根(中城跡)に向けて急登になります。
中城跡まで30分、更に本丸まで20分です。
国史跡とあったので整備されている事を期待していたのですが、
郭は藪で荒れ放題、姫路が丸跡から先はほとんど笹が膝から胸くらいまであり、
道も探さないと見つからない状態で、山頂は一面ススキで覆われ最悪でした。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」