siro  八木城跡(やぎじょう)、比高50m
場所広島市安佐南区八木5丁目
訪問日2007年5月17日(木)
備考蛇姫の異名を持つ熊谷信直の母の里
地形図の表示


A郭。
香川氏の祖鎌倉権五郎景政を祀る社。
A郭からB郭に向かう途中の尾根から見える、
蛇姫の嫁ぎ先の高松山(高松城跡)。
B郭。
殆ど藪でよく分からない。
B郭近くから見た太田川対岸の恵下山城跡
香川歴代之墓。
香川家先祖代々供養塚。
墓の西側は段々の郭状になっている。
西側中腹から武田山(銀山城跡)を望む。
八木城全景。(太田川対岸東側より)
コンクリート壁が痛々しいので、
お遊びで修正してみました。
以下、おまけ。(別日撮影)

仁保島城(現黄金山)の案内板。
大内方(陶晴賢)と決別した毛利元就に落とされ、
八木城城主香川光景を城主に据える。
厳島合戦の前哨戦で、陶軍を退けた。
同じく同じ時期に毛利元就に落とされた
矢野城跡方面を本丸跡展望台から望む。
中央鉄塔左下辺りが矢野城跡
本丸跡展望台から海側(南西側)を望む。
中央右が厳島。
駐車場から本丸跡(山頂北の高所)を望む。
テレビ塔施設に席巻され、遺構は何も残っていない。
南のテレビ塔のある高所(この後ろ)が二の丸で、
その南下の削平地が三の丸でしょうか。
仁保島城跡全景。(北側より)

当時は潮が満ちると城跡の北側は寸断され、
本当に島(仁保島)だった様です。
(まとめ・総評)
八木城は、相模国香川庄から入部した香川氏によって築かれた城。
城主香川光景が阿生山(阿武山)の大蛇を退治し、「大蛇退治のご領主」と呼ばれた。
又は、その娘?が大蛇退治(退散)させた事から「蛇姫」と呼ばれた。史実は不明である。
有田合戦では武田元繁に就き、子行景は毛利勢に敗れ戦死した。
蛇姫は熊谷元直(信直の父、有田合戦で戦死)に嫁ぎ、信直の毛利従属に合わせ香川氏も毛利氏に仕えた。
蛇姫は、有田合戦で戦死した夫元直の遺体を現地に捜しに行き、持ち帰るのが困難な為、
しかたなく右腕だけを持ち帰ったと言う逸話もある。

高瀬大橋(高瀬堰、八木水門)の西詰めすぐ北、城山北中南に位置する。
駐車場は無いので西側登山口辺りに車を停めました。(北東側は駐車場所は無い。)

最高所のB郭は藪に覆われて郭の形も定かでない。
西の高所の郭跡?も藪で足を踏み入れる事も出来ない。
墓所横の段々も後世のものか?...
独立丘陵にも見えますが、裏の阿武山の支尾根の先端の様です。

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 参考資料: ひろしま昔探検ネット