|
可部高グランド横にある登山口の案内板。
高松城跡と大文字祭りについて書いてある。
|
|
登り始めてしばらくすると、
右手に屋敷跡の削平地がある。
登山道に沿って何段かに分かれている。
この先を右折して「与助丸」方面から山頂を目指す。
|
|
与助丸付近から可部の町を...(3倍ズーム)
中央に私の職場の「イ○○ー○ッ○」が...
更にズームアップ
|
|
展望の利く狭い郭?跡。
|
|
その上に更に郭跡。
|
|
また郭跡。
|
|
またまた郭跡。
結局「与助丸」って何処を指すのだろう?
|
|
登山道を横切る様に堀切でしょうか。
|
|
二の丸に到着。
右奥に見えるのが本丸。
|
|
山頂(本丸)に到着。
|
|
山頂の案内板。
高松城跡と熊谷氏について書いてある。
|
|
山頂東にある郭跡。
ここも本丸の一部でしょうか。
|
|
鐘ノ段。
|
|
鐘ノ段北下にある郭跡。
|
|
更に一段下にある郭跡。
|
|
本丸と鐘ノ段の間(本丸側)に残る石垣。
|
|
別ルートで下山。(下山口は登山口と同じ。)
三の丸。
奥は高松神社。
|
|
高松山全景(別日撮影)。
根の谷川(南側)の中より撮影。
根の谷川は天然の堀として、
可部付近の街道と城を寸断していた。
|
|
これも別日ですが、登山口から北へ約2km。
土居屋敷(熊谷氏居館)跡の案内板。
|
|
石垣が残る。
|
|
それを裏側から。
|
|
その横にある土居側の登山口。
この削平地も居館跡の一部でしょうか?
|
|
削平地にする為の盛り土のあとも...
居館跡と結び付けるのは考え過ぎでしょうか?
|
(まとめ・総評)
毛利元就の同盟者(家臣)、熊谷信直の居城。
父の元直は有田合戦(有田城跡参照)で、安芸武田氏側に就き、毛利元就に敗れ討ち死にするが、
その後、熊谷信直はその遺恨も忘れ、毛利と同盟し忠誠を尽くす。
醜いと評判の信直の娘は元就の次男、吉川元春の元に嫁ぐ。
元春側からの申し入れだが、性格に惚れたとか単なる政略結婚だとか、真相はいかに?...
ちなみに信直の母は香川氏(八木城)の出で、蛇姫の異名を持つ。
可部高から根の谷川対岸の可部高グランド北隣に登山口があり、
土手に数台停めれる駐車スペースがある。
(可部高移設の話もあるが?...)
案内板横から獣避けの柵の扉を開け、入山。
屋敷跡先で右折(見逃し易い)して、与助丸経由で山頂を目指す。
こちらの方が途中で展望が良く、絶好の休憩場所となる。
山頂の展望は東側以外良好。今回は霞んでいたので撮影してませんが、登山日記(2006.2.18)を参照下さい。
下山コースは与助丸方面を通らず、三の丸方面で下山しました。
全体的に緩やかでもなく、急でもなく、短時間で登り易い山です。
|