木ノ宗山城跡(きのむねやまじょう)
場所安佐北区上深川・小河原・東区福田
備考登山もひと苦労の、比高300m以上の峻険な城
ルート図


北東側(上深川側)から入山。
直進が犬走り、右上が登山道。
土塁の道
土塁の道(その2)
岩の門かな?
岩の門跡
この石郡も明らかに何かの跡。
これも門かな?
いくつか郭があるので、
門があちこちにあってもおかしくない。
石塁跡
尾根道最大の郭跡の平坦部
数メートル下の方に荒れた道の様な平坦部があります。
帯郭でしょうか?
堀切
左右に堀の跡
当時は真中の道は無かったはず...
※敵の侵入を防ぐためのもの。
堀切(その2)
本丸城郭跡の石垣(山頂)
本丸城郭跡の石垣上
木ノ宗山城の説明

「芸藩通志」には吉川興経が築いたとありますが、
山麓に幽閉されていたはずなので、
ちょっと真実味に欠けるかも...
他にも奥西仲綱などの名もあがっていて、
はっきりとは分かっていません。
阿武山(八木城跡)
二ヶ城山(二ツ城跡)
南西側(福田側)に下山。
いきなり急な下りが続く。
振り返ると、石段跡かな?
ここにも石がいっぱい...
通り過ぎて振り返ると、
やはり石段跡か?
銅剣銅鐸出土地と憩の森方面分岐の郭跡。
その近くから振り返って山頂を望む。
上深川側から木ノ宗山全貌。
マンションの向こう辺りから入山し、
右端ちょっと左の辺りが山頂。
吉川興経の墓(JR上深川駅のすぐ北側)

興経は毛利元就三男元春の吉川家相続に際して、
当主を廃されこの地に隠居(幽閉)した。
後の憂いを絶つ為、
元就の指示で熊谷信直の刺客により誅殺される。

これは胴塚です。
首塚は日山城跡の火野山山麓にあります。
その説明板。
千法師(興経の子)の墓
(JR上深川駅東のトンネルの上)
(まとめ・総評)
まず、季節の違う写真が入り混じってますが、ご了承下さい。
どの方向から取り付いても急峻な山で、郭群、土塁、石塁、堀切、竪堀等に守られて堅固な城です。
築城者には、吉川興経、奥西仲綱などの名があがっていますが、定かではありません。

(登山日記参考)
 2006年 4月 3日(月)
 2006年 4月 9日(日)
 2006年 4月20日(木)
 2006年 5月 1日(月)
 2006年 7月 7日(金)
 2007年 3月 3日(土)

 


 
 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」