siro  狐城跡(きつねじょう)、比高40m
場所広島県三次市布野町下布野 峻険な丘陵地(尾根先端)
峻険な丘陵地(尾根先端)
訪問日2013年3月20日(水)
備考三吉氏 大城山城の出城

郭図の表示




神社
南側から、途中狐城公園のプレートを見ながら
急な階段を上ると、南端の郭に着く。
神社があります。
土塁
西側に土塁が確認出来ます。
狐城跡
東側の木が伐採された斜面。
かなり急峻です。
狐城跡
中段の郭。
主郭
主郭。

展望もよく、桜が植樹されていますが、
桜の頃にはこの笹はきれいにされるのでしょうか?
井戸
主郭東端に井戸風のものが...
広島県中世城館遺跡総合調査報告書には
載っていませんが...
姫ヶ嶽城跡
木々の隙間から姫ヶ嶽城跡を望む。
少しアップ!
狐城跡
主郭からは東側の展望が良好です。
この辺りは「布野合戦」の古戦場になります。

ちなみにフレーム左外が主郭の背後になります。
現在は左下に見える道路が出来、削られてますが、
元々は主郭の背後は尾根続きだった様です。
全景
狐城跡全景。(南西側より)
(まとめ・総評)
三吉氏の大城山城の出城と言われる。
同じく大城山城の出城とされる姫ヶ嶽城は、三吉氏家臣槙原藤五左衛門が城主とされるが、
狐城に関しては資料が残っていない。(城主不在の見張り台的なものか?)

尼子による三吉広隆の攻略で比叡尾山城を攻めた折、毛利元就は福原貞俊と児玉就忠を救援に送った。
しかし当地特有の深い霧の為、両将は二度に渡って敗走、これを「布野くずれ」と言い、
その勝ちに油断した尼子方7千の兵は、三吉広隆の僅か500の兵の奇襲により敗北、これを「布野合戦」と言う。

布野合戦後、狐城を含む大城山城、姫ヶ嶽城は、三吉氏の北の抑えとして機能した。

場所は、
三次で国道54号線と国道375号線が交差する交差点から54号線を北上、
7.6km(道の駅ゆめランド布野から1.4km)で小さな川を跨ぐ所で左手に小高い丘陵地(狐城跡)があります。
南側と北東側に階段がありますが、南側の路肩に駐車スペースがあるので、こちらがいいでしょう。

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 参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書、 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山