狐城跡(きつねじょう)、比高40m | |
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南側から、途中狐城公園のプレートを見ながら 急な階段を上ると、南端の郭に着く。 神社があります。 | |
西側に土塁が確認出来ます。 | |
東側の木が伐採された斜面。 かなり急峻です。 | |
中段の郭。 | |
主郭。 展望もよく、桜が植樹されていますが、 桜の頃にはこの笹はきれいにされるのでしょうか? | |
主郭東端に井戸風のものが... 広島県中世城館遺跡総合調査報告書には 載っていませんが... | |
木々の隙間から姫ヶ嶽城跡を望む。 少しアップ! | |
主郭からは東側の展望が良好です。 この辺りは「布野合戦」の古戦場になります。 ちなみにフレーム左外が主郭の背後になります。 現在は左下に見える道路が出来、削られてますが、 元々は主郭の背後は尾根続きだった様です。 | |
狐城跡全景。(南西側より) | |
(まとめ・総評) 三吉氏の大城山城の出城と言われる。 同じく大城山城の出城とされる姫ヶ嶽城は、三吉氏家臣槙原藤五左衛門が城主とされるが、 狐城に関しては資料が残っていない。(城主不在の見張り台的なものか?) 尼子による三吉広隆の攻略で比叡尾山城を攻めた折、毛利元就は福原貞俊と児玉就忠を救援に送った。 しかし当地特有の深い霧の為、両将は二度に渡って敗走、これを「布野くずれ」と言い、 その勝ちに油断した尼子方7千の兵は、三吉広隆の僅か500の兵の奇襲により敗北、これを「布野合戦」と言う。 布野合戦後、狐城を含む大城山城、姫ヶ嶽城は、三吉氏の北の抑えとして機能した。 場所は、 三次で国道54号線と国道375号線が交差する交差点から54号線を北上、 7.6km(道の駅ゆめランド布野から1.4km)で小さな川を跨ぐ所で左手に小高い丘陵地(狐城跡)があります。 南側と北東側に階段がありますが、南側の路肩に駐車スペースがあるので、こちらがいいでしょう。 |
参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書、 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山 |