金明山城跡(きんめいさんじょう)、比高440m | |
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城域手前(東側)の鞍部を堀切状に仕切る石垣。 かな? | |
尾根上に土塁。 | |
城域手前の堀切を見下ろす。 | |
その堀切からA郭を見上げる。 | |
A郭。 | |
A郭に土塁。 | |
B郭。 | |
C郭。 | |
主郭。(東端から西側) | |
主郭。(西端から東側) | |
D郭。 | |
E郭。 | |
F郭。 | |
G郭。 | |
H郭。 | |
I郭。 | |
J郭。 | |
J郭と帯郭を隔てる石垣。 | |
上記右端の方をアップ! | |
角度を変えて...。 | |
これも... | |
これも... | |
これも... | |
I郭とH郭の間の石垣。 | |
H郭と主郭の間の巨石群。 | |
天気が急変! K郭。 | |
L郭群を見下ろす。 | |
M郭。 | |
N郭。 | |
L郭群横の通路。 | |
もう一度A郭。(東向き) | |
A郭東端の堀切をかさ上げする土塁。 | |
生城山城跡から見る金明山城跡遠景。 | |
(まとめ・総評) 南北朝時代、新田義貞に従って北朝と戦った天野政貞が初代の城。 政貞は、米山城(生城山城)の初代城主天野顕義とは従兄弟の関係。 政貞から、顕元、元繁、元平、元氏と続き、一族の弘氏の二男元貞を嗣子に、 次いで、その養子隆重が財崎城に移り、金明山城には土肥氏(土肥藤左衛門)が入る事になる。 元氏の代には毛利氏に背後から攻められ、南西麓の横田で迎撃したとされる。 城跡の保存状況は比較的良好で、東端の堀切の切岸と、小規模ながら南端の石垣は見所です。 場所は、登山の方を参照下さい。 山頂まで続くバラス林道は比較的いい道なので、もしかしたら車で行けるかも... |
参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書、 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山 |