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柳ヶ城跡を目指し、城跡東の谷を北上中、
右手に甲立古墳が見えたので立ち寄る。
前方後円墳の前方部分から後円方向を見る。
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後円の上。
二段になっていて、意外に平たい。
もしかしたら、
宍戸氏によって郭として使われていたのかも...
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だとしたら、井戸跡???
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調査中部分。
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古墳奥部分から左の尾根に取り付く。
城域に向けて山道があるが、
谷側が土塁状になっています。
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その土塁の一部に石が...
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城域の尾根に着く。
右の尾根上が切り立っていて、
正面(中央ちょっと左)にこんもりと土塁、
その左右が堀状になっています。
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上記を反対側から...
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右を向いて城域方向。
郭図には載っていませんが、
ここも郭の体があります。
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そのすぐ先で堀切Aを見下ろす。
底まで10mくらいはあるでしょうか。
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その堀切の底。
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堀切東側。
そのまま下って、竪堀になっています。
(西側も同様。)
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堀切の中央に土橋。
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堀切の隣に竪堀がもう一本。(東側)
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上記と対で、西側にも竪堀。
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堀切からG郭を見上げる。
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G郭。
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G郭先にもう一本堀切Bを見下ろす。
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その堀切の底。
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A郭。
変形の二段になっています。
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A郭北の土塁。
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B郭。
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B郭に一辺が50cmくらいの四角い石の囲いが...
何でしょうか?
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C郭。
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C郭にある虎口。
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D郭。
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D郭南西面に軽く土塁。石が混じっています。
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E郭。
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E郭隣の(多分)井戸跡。
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F郭。
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F郭には石(岩)が散乱してます。
見上げるとA郭が...
A郭の淵を形成していたものかも?
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柳ヶ城跡遠景。(五龍城跡尾崎丸より)
中央の手前に張り出した尾根が城域です。
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振り返ると司箭神社の紅葉が綺麗です。
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(まとめ・総評)
陸奥国宍戸から安芸(甲田庄)に下向し、最初に入った宍戸氏の拠点。
宍戸氏は、隣の毛利氏とは長年対立していたが、7代元源の際に毛利元就と和睦。
9代隆家の時には家臣(毛利一族)となる。詳しくはコチラ。
場所は、前記遠景写真の中央より入山、右手の谷沿いに入り左手の尾根に取り付く。
詳しく言うと、国道54号と県道4号が交差する「高宮別れ」交差点から北西150m先の山麓沿いの道を目指す。
(国道54号側からでも、県道4号側どちらからでも行ける。)
その道沿いの写真中央左寄りの山側に広い空き地があり、
その空き地右端から左斜め上に向けて道があるので、それを上がると杉林の段に出る。
杉林の段右端から右手の谷筋に入ると墓所(左手)まで山道があり、その先は通れる所(谷筋)を進む。
数分で右上に古墳が見える。(今回は調査中でブルーシートが各所にあったので分かりやすかった。)
古墳を右手に見送ってすぐ、右前方から左後方へ山道が走り、それに合流。
そのまま左後方へ採ると、土塁の道を経て、城域の北側に出る。左折すればすぐに最初の堀切がある。
※古墳辺りからは、郭図参照。
※古墳先の山道を右前方に採ると、もしかしたら理窓院(宍戸氏菩提寺)に出るのでは?
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