siro  柳ヶ城跡(やながじょう)、比高60m
場所広島県安芸高田市甲田町上甲立 背後を切断 大堀切
背後を切断 大堀切
訪問日2010年11月6日(土)
備考宍戸氏、安芸下向最初の拠点
郭図の表示





甲立古墳
柳ヶ城跡を目指し、城跡東の谷を北上中、
右手に甲立古墳が見えたので立ち寄る。

前方後円墳の前方部分から後円方向を見る。
甲立古墳
後円の上。
二段になっていて、意外に平たい。
もしかしたら、
宍戸氏によって郭として使われていたのかも...
甲立古墳
だとしたら、井戸跡???
甲立古墳
調査中部分。
土塁
古墳奥部分から左の尾根に取り付く。
城域に向けて山道があるが、
谷側が土塁状になっています。
土塁
その土塁の一部に石が...
柳ヶ城跡
城域の尾根に着く。
右の尾根上が切り立っていて、
正面(中央ちょっと左)にこんもりと土塁、
その左右が堀状になっています。
柳ヶ城跡
上記を反対側から...
柳ヶ城跡
右を向いて城域方向。

郭図には載っていませんが、
ここも郭の体があります。
堀切
そのすぐ先で堀切Aを見下ろす。
底まで10mくらいはあるでしょうか。
堀切
その堀切の底。
堀切
堀切東側。
そのまま下って、竪堀になっています。
(西側も同様。)
土橋
堀切の中央に土橋。
竪堀
堀切の隣に竪堀がもう一本。(東側)
竪堀
上記と対で、西側にも竪堀。
柳ヶ城跡
堀切からG郭を見上げる。
柳ヶ城跡
G郭。
堀切
G郭先にもう一本堀切Bを見下ろす。
堀切
その堀切の底。
柳ヶ城跡
A郭。
変形の二段になっています。
土塁
A郭北の土塁。
柳ヶ城跡
B郭。
柳ヶ城跡
B郭に一辺が50cmくらいの四角い石の囲いが...
何でしょうか?
柳ヶ城跡
C郭。
柳ヶ城跡
C郭にある虎口。
柳ヶ城跡
D郭。
土塁
D郭南西面に軽く土塁。石が混じっています。
柳ヶ城跡
E郭。
井戸跡
E郭隣の(多分)井戸跡。
柳ヶ城跡
F郭。
柳ヶ城跡
F郭には石(岩)が散乱してます。
見上げるとA郭が...
A郭の淵を形成していたものかも?
遠景
柳ヶ城跡遠景。(五龍城跡尾崎丸より)
中央の手前に張り出した尾根が城域です。
司箭神社
振り返ると司箭神社の紅葉が綺麗です。
(まとめ・総評)
陸奥国宍戸から安芸(甲田庄)に下向し、最初に入った宍戸氏の拠点。
宍戸氏は、隣の毛利氏とは長年対立していたが、7代元源の際に毛利元就と和睦。
9代隆家の時には家臣(毛利一族)となる。詳しくはコチラ。

場所は、前記遠景写真の中央より入山、右手の谷沿いに入り左手の尾根に取り付く。
詳しく言うと、国道54号と県道4号が交差する「高宮別れ」交差点から北西150m先の山麓沿いの道を目指す。
(国道54号側からでも、県道4号側どちらからでも行ける。)
その道沿いの写真中央左寄りの山側に広い空き地があり、
その空き地右端から左斜め上に向けて道があるので、それを上がると杉林の段に出る。
杉林の段右端から右手の谷筋に入ると墓所(左手)まで山道があり、その先は通れる所(谷筋)を進む。
数分で右上に古墳が見える。(今回は調査中でブルーシートが各所にあったので分かりやすかった。)
古墳を右手に見送ってすぐ、右前方から左後方へ山道が走り、それに合流。
そのまま左後方へ採ると、土塁の道を経て、城域の北側に出る。左折すればすぐに最初の堀切がある。
※古墳辺りからは、郭図参照。
※古墳先の山道を右前方に採ると、もしかしたら理窓院(宍戸氏菩提寺)に出るのでは?

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 参考資料:広島県中世城館遺跡総合調査報告書