今回は宍戸関係の史跡巡りをメインに、最後に五龍城跡を探訪してきました。
五龍城は前回(2006.4.23)より奥まで探検し、多分ほぼ最深部まで行ったのではないでしょうか。
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理窓院(菩提寺) |
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境内はずれにある「宍戸元源の墓」案内板。
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元源の墓。
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その妻の墓。
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境内の上の方には「宍戸隆忠公之墓」とある。
元源の子、隆忠の墓でしょうか。
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宍戸大明神の社叢 |
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天叟寺跡を探している途中で「宍戸大明神の社叢」
の標識を発見。
幹線道路を外れ、しばらく行くと案内板が...
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長い石段を上る。
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上りきると杉木立と社殿が...
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天叟寺(菩提寺)跡 |
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「宍戸隆家夫妻の墓」案内板。
ここで言う「妻」とは石見氏から入った後妻の事。
最初の妻五龍の局(元就の長女)の墓は
「天叟寺旧地にあり」とあり、場所は不明である。
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(追記)ここにあった!
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手前が隆家、奥が妻女の墓。
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五龍城跡 |
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司箭神社裏参道入り口付近。
前回(H18.4.23)無かった石碑が出来ていた。
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この付近には色々五龍城関係の説明版があります。
その中の「五龍城の由来」
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裏参道を登る途中にある石垣跡。
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尾崎丸から宍戸氏の旧拠点、柳ヶ城跡を仰ぐ。
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司箭神社社殿に貼ってある「五龍城跡図」
郭図の資料では「足軽の段」までしか
載っていないが、これにはその奥まで載っている。
下記は左端の拡大図。
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物見の段北下にある石垣跡。
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物見の段先で一旦下ります。
堀切でしょうか?
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一位の段から北側。(3.6倍ズーム)
中央の辺りが理窓院です。
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櫓の段に登る道の石垣跡。
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櫓の段北斜面にある竪堀。
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櫓の段先の堀切から櫓の段を振り返る。
土塁の中央に通路がある。
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三の丸にある石垣跡。
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三の丸北側にある土塁。
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二の丸北側にある石垣跡。
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本丸。
奥に高々と土塁が見える。
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その土塁下の石垣。
明らかに近年積み上げられたもの。
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土塁の上から本丸を見下ろす。
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本丸から南下の郭に降りてみた。
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本丸を見上げると淵沿いに石垣が...
これも近年積まれたもの???
ここから御笠丸方面へ...
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御笠丸郭群の南側の山道を抜けると石垣跡が...
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御笠丸奥の堀切?
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竪堀。
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更に奥へ進む道の両側に空堀。
この辺りは堀が入り組んでいる。
堀はこんな感じ。
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池の跡。
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その下の足軽の段。
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足軽の段にある井戸跡。
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司箭神社社殿に貼ってある「五龍城跡図」だと、
これが岡佐丸でしょうか?
この辺りはもう郭の体はありません。
ここから引き返します。
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御笠丸北西下にある石垣跡。
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北西から御笠丸にアプローチ。
御笠丸西端の土塁(一ノ塁)から、
奥の堀切?を見下ろす。
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御笠丸と奥の土塁。
前回「御笠丸」と思ったのは「二ノ塁」で、
「御笠丸奥の土塁」と思ったのは「御笠丸」でした。
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御笠丸から二ノ塁を見下ろす。
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お釜の段北下にある郭。
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本丸か姫の丸北下にある石垣跡。
ここから北側の犬走りを通って三の丸に出、
下山する。
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五龍城全景(東側より)。
手前の端が尾崎丸、中央のコブが本丸、
その左のコブが御笠丸、次のコブが岡佐丸
ではないでしょうか?
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五龍城全景(南東側より)。
中央が御笠丸、その左の高所が岡佐丸でしょうか。
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五龍城全景(北側より)。左端中央が尾崎丸、中央が御笠丸、その間が本丸。
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(まとめ・総評)
宍戸氏は鎌倉時代の御家人八田知家を祖とし、小田氏と同族。当初は常陸に勢力を持ったが、後安芸に分家した。
知家は嫡子の知重を小田氏に入れ、四男の家政に宍戸荘(常陸国笠間郡)を与え、宍戸氏を名乗った。
足利尊氏に従っていた宍戸朝里(朝家)が安芸守に任じられ甲田に入り、安芸宍戸氏の祖となる。
元就と和睦、同盟した元源は安芸宍戸氏の七代目、元就の長女(五龍の局)を妻とした隆家は九代目となる。
JR芸備線甲立駅前交差点より北西に600m、突き当たりを右に行くと、200m弱で橋の手前左に駐車スペース、
ここから裏参道で尾崎丸を目指す。少し戻ると表参道からも登れる。
駐車スペースの所に郭図があり、足軽の段までは書いてあるが、その先は司箭神社の「五龍城跡図」しか無く、
岡佐丸、関所等は場所がいまいち不明である。
今回の探訪で1時間40分、周辺の名も無い郭も全て廻って、関所(位置不明)まで行けば、
もっと時間がかかり、見応えもあるでしょう。
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