siro  比熊山城跡(ひぐまやまじょう)、比高170m
場所広島県三次市三次町上里
訪問日2007年7月22日(日)
備考比叡尾山城から移された三吉氏の本拠
地形図の表示


尾関山公園駐車場にある比熊山城跡案内板。
東郭群、中央の郭。
そこの井戸跡。
東郭群、北の郭。
奥(西側)に土塁跡が見える。
千畳敷(本丸)の2段東下の郭。
千畳敷(本丸)の1段東下の郭。
奥に本丸の物見台が見える。
そこの井戸跡。
たたり石の伝説の説明板。
「神龍石」と言われ崇拝されていたが、
触るとたたりがあるらしい...

2007.8.25中国新聞より
その「たたり石」
千畳敷(本丸)にある物見台。
物見台から千畳敷(本丸)を見渡す。
千畳敷の南下の郭。
千畳敷の西の郭。
その西にある帯郭。
千畳敷の西の郭から南西端の郭を見下ろす。
北郭群、中央の郭。
北郭群、東の郭。
そこにある井戸跡。
窪み程度。
その更に東の郭。
北郭群、西の郭。
北郭群西にある、畝状竪堀を上から...
畝状竪堀の下を横から...
展望所(郭図の枡形虎口の辺り)から南方向。
左端で西城川と馬洗川が合流、
右の見えない所で更に江の川に合流する。
鳳源寺にある三次浅野家の説明板。

毛利氏防長移封後、福島正則が広島に入る、
その後信濃国に移封となった福島正則に代わり、
浅野長晟が広島藩藩主として入る。
三次浅野家や赤穂浅野家はその分家である。
赤穂浪士の木造。
比熊山城跡全景。(南側より)
(まとめ・総評)
1591年、比叡尾山城から移された三吉氏(三吉広高)の本拠。
関が原敗戦後(1600年)、毛利氏防長移封により、築城途中で廃城となる。
(とにかくだだっ広く、防御には向いていないように感じる。)
西に出雲街道、江の川、東に西城川、南東には馬洗川と交通の便がよく、
大内氏、尼子氏も滅び、中国10ヶ国は毛利氏により平定された後の築城なので、
防備より、流通を考えてこの地に本拠を移したのではないでしょうか。

国道54号線を北上、三次の街中に入る粟屋交差点を過ぎ約800m、
落合交差点を右折、そのまま祝橋を渡り、国道184号線に出て北上する。
(橋を渡って左を迂回する様に土手下へ下り、一旦南下、すぐ左折して国道184号線を目指す。)
国道184号線に出ると、左手前方に日隈山(比熊山城跡)が見える。
山裾の太才町交差点を左折、約250mで右に鳳源寺、そのすぐ先左側に尾関山公園の駐車場がある。
ここに車を停めて鳳源寺を目指す。(駐車場に写真1枚目の案内板がある。)

鳳源寺境内から西の階段を上がり、左手に赤穂義士の木造を見ながら北に上ると、
途中右に登山口の案内表示がある。(見落としやすいので注意。)
そこからつづら折りの道をひたすら登る。つづら折りなので結構楽に登れます。
多くの郭は広々として見応えはありますが、木が多く茂り、季節がら藪も目立ちました。

今回は本HPに書き込みをいただいたFさんと連絡を取り合い、八幡山城跡も含めて2人で登城しました。
枡形虎口と書いてある辺りに展望所があり、ベンチもあるので、そこで昼食を摂りました。

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 参考資料:H・L・C「郷土史紀行」