(まとめ・総評)
三吉氏の支城。
南西1.5kmに長野氏の茶臼山城(毛利方)、西2kmの可愛川対岸には深瀬氏(宍戸氏庶家)の祝屋城跡があり、
三吉氏領の南西端の抑えの城である。
尼子氏(新宮党3000余)の郡山城征伐遠征の拠点となったが、祝屋城の深瀬隆兼に阻まれ、
可愛川を渡る事も出来ず、多くの死傷者を出し、退却する事となる。
3ヵ月後、出雲路の不利を教訓に、石見路より尼子詮久3万の大軍で郡山城に押し寄せる。(郡山合戦)
県道37号線を北上、JR志和地駅前の板木川手前で、右にAコープを見ながら右折する。
(右折後すぐ左に志和地近辺の案内板があるが、薄れていてよく見えない。)
板木川添いを道なりに行くと、約900mで左に橋を渡る。その正面が八幡山城跡です。
橋を渡って左側の方の路肩(川沿い)に車を停める。
橋から北10m位と、南20m位の2個所に登山道がある。
南の方には以前案内板があったらしいが、大風で倒れて以来無いらしい。とりあえず南の方から登る。
途中直進と、左後方に登る道とに分岐するが、左後方は三の丸に出て、直進は東周りで堀切の辺りに出る。
堀切からは北周りで本丸西郭辺りを目指せるが、道は無く、よじ登る感じになる。
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