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大林八幡宮下にある案内板。
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案内板にある郭図を拡大。
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その下にも地形図が...
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本丸跡。
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本丸にある井戸跡。
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本丸から出雲街道の北方を眺める。
この先が上根峠。
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A郭。
奥の盛り上がりが本丸。
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A郭から出雲街道の南方を眺める。
街道と城跡の間には根の谷川が天然の堀となっている。
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A郭からB郭を見下ろす。
かなりの高低差がある。
右下の方がC郭。
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A郭からD郭を見下ろす。
D郭に降りる道は見当たらなかった。
C郭とは同じくらいの高度。
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B郭の先には堀切が...
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堀切の先にはE郭。
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F郭。
手前は堀切でしょうか?...
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G郭。
尾根の先端で最低所です。
すぐ下に道路が見えます。
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戻ってH郭。
右上が本丸跡。
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I郭。
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H郭の裏側方面から本丸を望む。
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大林八幡宮に下る。
「忠勇碑」、何だろう?
左下に「桂太郎」の名前が見える。
毛利の家臣桂氏の末裔の「桂太郎」でしょうか?
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伊勢が坪城跡全景。(北西側より)
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熊谷氏菩提所観音寺跡。
熊谷氏居館跡(高松城参照)から北西400m地点。
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境内の案内板。
「・・・境内の井戸は、
有田合戦で討死した熊谷元直の腕を、
彼の妻が洗い清めたという言い伝えがある。」
とあるが下記の「清泉」での事でしょうか。
※「元直の腕」の逸話については、
八木城のまとめ部分参照。
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清泉。
別名、血洗の池。
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熊谷氏の墓石群。
50基はあります。
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「熊谷信直之墓」
毛利輝元、広島城移築の際、
熊谷氏もそれに従ったとありますが、
その後も熊谷氏の本拠は三入庄だったのでしょうか。
その2年後に、信直は亡くなっています。
写真は、熊谷元直の墓と言う説もあります。
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観音寺の長い石垣跡。
関が原の敗戦後、
毛利氏と供に萩に移った熊谷氏は、
その後も時々家臣をここに墓参させていたと
伝えられています。
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(まとめ・総評)
武蔵国熊谷郷から三入荘に移って来た熊谷氏の最初の城。
熊谷信直の代に本拠を高松山(高松城)に移し、以後、伊勢が坪城は隠居所として使用された様です。
国道54号線大林小入口交差点を東に入り300m、突き当たりを右へ、すぐ大林八幡宮下の城跡案内板の場所に着く。
そこから左へ回り込めば、裏手に2箇所登り口があるが、大林八幡宮の境内からも登れる。
駐車場は無いので付近の路肩に車を停めました。
大林八幡宮の境内から登れば、まずH郭に着く、そこから右にとって本丸を目指す。
本丸からはA→B→E→F→G郭へと下って行く。
A→BとB→E郭間は幾分高低差がある。
独立丘陵にも見えますが、裏の押手山の支尾根の先端の様です。
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