siro  新高山城跡(にいたかやまじょう)、比高177m
場所広島県三原市本郷町下北方
訪問日2006年10月3日(火)
備考小早川隆景が築いた日本三大山城の一つ
地形図の表示


登山口にある案内板。
その2
鐘の段
鐘の段、下の広い郭
鐘の段、上の郭
上の郭を取り巻く郭の一部
番所跡
番所跡、軽石の段
番所跡、中の段
番所跡、下の段
番所跡、下の段横の石垣。
匡真寺跡
その全景
そこにある元就、隆景、隆元の連歌碑。
瓦の跡もここに集めてある。
西の丸・北の丸(三の丸)跡

北の丸方面は荒れていたので行きませんでした。
西の丸
石弓の段
石弓の段から中の丸を見上げる。
中の丸(二の丸)跡
中の丸、西の高台
中の丸、中央の広場
そこから本丸を見上げる。
中の丸、東の郭
その北の郭
釣井の段(井戸郭)
その全景。
この井戸にはまだ水が湧いている。
ライゲン丸
東の丸
東の丸から北の展望。
本丸跡
その全景。
本丸跡にある大手門跡。
詰の丸から東に高山城跡が見える。
詰の丸から南の展望。
中央が白滝山でしょうか。
新高山城全景。
(まとめ・総評)
両小早川家を併合した17代隆景が、7年後、高山城の出城を大修築して新高山城とし移った。
岐阜城(織田信長)、春日山城(上杉謙信)とともに日本三大山城として名高く、
「75人の兵がいれば、いかなる大軍も寄せ付けない。」と言われた。
隆景が三原城を築く際、当城の石垣等を崩し再利用、45年の短い役目を終えた。

国道2号線から沼田川右岸の道を北上、橘神社を過ぎるとすぐ登山道の標識、
更に50m先に駐車場の標識、ここに車を停めて登山道の標識から狭い路地を登って行く。
10分もたたないうちに案内板のある登山口。

さすがに国史跡、登山道はわりと広くよく整備されています。
最初は緩やかですが番所跡あたりから急坂になり、山頂まで続きます。
郭も良く整備されていていますが、一部荒れていました。
ちょうど業者らしき人達が草刈りをしていたので、もう1日2日後ならもっときれいだったかも知れません。
詰の丸からの展望はGoodです。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」