siro  桜山城跡(さくらやまじょう)、比高165m
場所広島県三原市桜山町
訪問日2007年6月16日(土)
備考小早川隆景の三原城の詰の丸
地形図の表示

周辺の史跡はコチラを参照


三原駅北(三原城跡堀外東)にある
桜山登山道の案内板。
登山途中で三原城跡方面。
そのアップ。
三原駅で分断され、ビルが立ち並び、
この天主台と堀しか残っていない。
その少し左方面。
左端奥が因島でしょう。
山頂まで来ました。
山頂からの三原城跡方面。
その少し左方面。
山頂郭群南下にある小郭。
土塁に囲まれています。

桜山城全体が土塁、石塁だらけで、
なかなか興味深いものがあります。
山頂郭群南端の郭。
幕末の砲塁跡らしきものがあります。
その北の小郭。
千畳敷。
本当に千畳くらい、いやそれ以上ありそうです。
池があります。
当時からのものでしょうか?...
その西側にある土塁。
ここから先、土塁、石塁だらけです。
池の先の東下にある郭。
ここに下りる道は無く、
藪も邪魔して見逃し易いです。
東郭。
やはり土塁で囲まれています。
千畳敷の中を北に向かって歩くと、
左右が土塁で、正面にも土塁が見えて来ました。
これだけ土塁に囲まれていると、
水はけが悪いんじゃないかと思っていたら、
やはり、排水口を見つけました。
千畳敷の中に「コ」の字型に石塁があります。
釜戸跡でしょうか?...
写真3枚前の左に虎口があり、
そこを下りると、竪堀があります。
すぐ隣にも竪堀があります。
この2本の竪堀が繋がって、Y字を成しています。
西郭。
やはり土塁で囲まれています。
その下に出丸。
千畳敷に戻って、一文字石塁。
手前に井戸跡が見えます。
覗いて見る。
千畳敷の北端から北下に降りてみると、
小郭と中心に小丘陵。
振り返って千畳敷北端を見上げる。
その先(北)に堀切。
その堀切の中に釜戸跡らしきものが...
北郭。
ここは土塁でなく、石塁で囲まれています。
しかも2段になっています。
ここにも排水口が...
北郭の北端はやはり石塁で出来ている。
更に先(北)に堀切。
石塁や自然石を使って丁寧に作ってある。
その堀切を右に行き、更に右に巻くと帯郭。
更に南下するとここにも帯郭。
見上げると竪堀。
その先にも竪堀。
この帯郭には計3本の竪堀がある。

この南には更に5本の竪堀があるらしいが、
藪の為、未確認。
先ほどの堀切に戻って、更に先(北)に20~30mの
平らな尾根がある。(郭跡?)

そこから東の米田山と奥の島は因島。
同じく、南西方向の町並み。
桜山城全景。(南側(三原城跡)より)
三原駅構内から三原城跡に入る。
その駅構内にある案内板。
古地図のアップ。
如何にも水軍の城です。
現地図と城(水路)の比較図のアップ。
三原城跡にある案内板。
毛利元就三男、小早川隆景築城。
天主台跡。
天主台跡東の堀。
右奥は桜山。
三原城跡から本郷方面に約11km、
沼田東納所にある米山寺。
小早川家菩提所。
米山寺向かい側にある小早川家墓所の案内板。
小早川家墓所全容。
小早川隆景の墓。
小早川家の祖、土肥実平(實平)の墓。
(まとめ・総評)
1260年頃には、山名氏正の居城であったと言われています。 
中世には、別名三原城詰の丸と呼ばれ、三原城(1582年築城)の詰め城だったのでしょう。(甲の丸とも...)
幕末の砲塁跡(らしきもの)もあり、その歴史は長い様です。
※三原城主小早川隆景については下記参照。
 木村城跡高山城跡(その2)、新高山城跡

桜山城跡には、写真1枚目の案内板の通りに行けば確実に行けます。(案内板の前に有料駐車場有り。)
私は和久原川土手道下側道から西に入り、登山口少し(50mくらい)北の路肩に車を停め、登りました。
登山口は広島大附三原中の北東角辺りです。三原中のすぐ北を東から西へ進みながら登り始めます。

登山道は大部分に階段が付けられ、各○合目の標柱があり、大変整備されています。
ただ、最初から最後まで急登を強いられ、30分くらいの工程ですが、途中で一休みが必要でしょう。
山頂近くで「急がばまわれ」の表示があり、なだらかな道があるみたいですが無視しましょう。
そのまま登ればすぐ山頂郭群の南端です。(その回り道がどこに出るのかは不明です。)

とにかく土塁、石塁の城で、排水口まであり、ここまでする必要性を考えながら、
大変面白い遺跡を、いっぱい堪能出来ました。
展望もほとんど無く、藪も多かったですが、冬頃に来ればまた別の顔が見れるかもしれません。

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 参考資料:H・L・C「郷土史紀行」