先の仁後城跡を諦め、車で数分、牛首城跡にやって来た。
郭図の7郭から8郭(藪)、大竪堀、中竪堀、6郭(藪)、5郭、4郭、3郭、2郭、1郭と探訪。
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県道沿いの案内板に導かれて横道に入ると、
すぐにこの説明板。
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登城してすぐ、
7郭と8郭の間の竪堀だった様な...
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8郭と北先の郭の間に石垣。
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8郭東辺りから、北東に下る竪堀。
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これも...
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上記竪堀の外の土塁。
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6郭北から東へ下る竪堀。
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これも...
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6郭北東から東へ下る竪堀。
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6郭南から東へ下る竪堀。
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6郭から5郭へ向かう通路。
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5郭へ登って虎口を振り返る。
この写真では分かりにくいですが、
中央の木の向こうを、左から右へ下っている。
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5郭。
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5郭と4郭の間の石垣。
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4郭から3郭を見上げる。
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3郭の南面の西側を見上げると、
切岸に石積跡。
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これも...
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4郭にL字型(右と奥)の石塁と、左は3郭。
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上記左側は、3郭に登る通路になっています。
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その通路下の石垣。
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こちらは石塁側の石垣。
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これも...
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石塁の上。
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3郭南側。
3郭は、今は中央に(廃)舞台が建ち、
北と南に分断されています。
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3郭南西から4郭に通じる通路。
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3郭北側。
奥は2郭。
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3郭北側は、東西が土塁で囲まれています。
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1郭に建つ神社。
城主を祀る「辰之尾(龍能)権現社」ってこれかな?
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7郭から3郭に登る通路だが、
これは神社や舞台に向かう為に
造られたものと思われます。
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7郭から1郭を見上げる。
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そこから振り返ると土塁がある。
この辺りは土塁と堀で複雑な地形をしており、
どれが土塁でどれが堀なのか特定し辛い所もある。
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北側から遠景。
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これは南西側から。
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(写真1枚目の説明板より)
佐々部氏は、はじめ高階姓を名乗っていたが、志部府面山に城を築き、
佐々部地方を支配したことから、地名をとって佐々部氏と称した。
初代若狭守承代(?~1527年)は、耕地が開け交通の便がよく、
また、生田川を天然の堀とするこの地(五十貫分)に城を移した。
以後五代、100年間の居城であった。
佐々部氏は近隣の諸豪族、阿須那の高橋氏・甲立の宍戸氏などと姻戚関係を結び、
地位の保全を図った。毛利氏台頭後はその麾下に入った。
牛首城は、若狭城・龍之尾城・龍之口城などともいい、要害堅固につくられていた。
山城と平城の中間的な平山城(丘城)で、八つの郭と土塁・石塁・竪堀などの遺構が現存する。
「御殿屋敷」と呼ばれる郭の30mに及ぶ石塁、南東側山麓の20条の土塁(畝堀)は特徴的である。
最高所の郭は大手筋を見下ろす櫓台で、城主を祀る「辰之尾(龍能)権現社」がある。
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