牛首城跡を後に、次に面山城跡にやって来た。
廃寺下の駐車スペースに車を停め、廃寺横の道を上がると、ちゃんと駐車場があった。
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そこに案内板。
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駐車場奥のバーベキュー広場を横切り山道へ...
途中左右に分かれる。城跡は左手だが、左は踏み跡、いい道の右を採る。
少し先で尾根先の小さな神社に出る。神社裏の藪に標識があったが面山城方面への尾根は藪...
なので、分岐に戻り踏み跡をいく事に...
所々藪に阻まれながらも登って行くと...
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城跡東側の鞍部、ここに出た。
「面山凸」と書いて「面山城」と読むらしい...
「面山山」かと思った。(^^;)
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最初の堀切だが、保存状態は悪い。
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1郭下の堀切だが、ここも...
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振り返る。
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そして、1郭を見上げる。
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1郭を左に巻いて、馬場跡に出た。
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馬場跡から2郭に上がる。
奥は3郭。
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1郭。
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1郭北東端(堀切側)に土塁。
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3郭。
ここが主郭の様です。
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3郭を4郭側に急下って、振り返る。
3郭と4郭の間の堀切は確認出来なかった。
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4郭。
奥に土塁。
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5郭。
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5郭先も、段々になって下っている。
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帰りに、主郭を南東下から見上げる。
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苦労して登った割には、消化不良のまま下山。
もちろん下山も、雨で濡れた足元、処々に雪、藪も分けながら...
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下山して地図を見てみるが、
これは参考にならない。
これを頼りにすると、逆に迷うかも...(^^;)
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南側より、面山城跡遠景。
中央が城跡、その右が神社のあった尾根先。
もしかしたら神社裏の藪を少し我慢すれば、
尾根伝いに楽に城跡に行けたかも...
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【写真1枚目の説明板より】
佐々部氏は、はじめ高階姓を名乗っていたが、
ここ佐々部村志部府面山(免山とも)に城を築き佐々部と称した。
初代若狭守承代(?~1527年)が、佐々部村五十貫分の牛首城に移るまでの在城期間は不明であるが、
当時志部府は交通の要所で、その後も佐々部の中心地として栄えた。
天正19(1591)年の「八箇国御時代分限帳」によると、
佐々部氏の名が見え、郡内最高額の目代給があげられている。
「蛇多き故に牛首城に移る」と旧記に見えるが、もとより真偽のほどは不明である。
佐々部氏は、近隣の諸豪族、須那の高橋氏・甲立の宍戸氏などと姻戚関係を結び、地位の保全を図った。
毛利氏台頭後は、その麾下に入り、宍戸氏の配下にあって重んじられた。
城跡は、南に低い丘陵を見下ろす標高428mの山頂にある。
遺構は、七つの郭と三条の堀切と一条の竪堀からなる。
西から東に向かってほぼ一張りに張り出した山頂をうまく利用して、三つの郭を設けている。
主郭は、東と西に空堀を掘り一段高い位置にある。
本丸とも呼ばれる山頂の郭に立つと、南東に伸びる尾根筋2kmの先端に牛首城を望むことができる。
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