siro  仁後城跡(にごじょう) 比高80m
場所広島県安芸高田市高宮町船木 毛利隆元逝去の地
毛利隆元逝去の地
訪問日2014年4月6日(日)
備考 和智誠春の居館とも言われ、毛利隆元が饗応を受けたとも...
登城失敗!の巻 ( ̄□ ̄;)

郭図の表示



久しぶりに三原のMさんと城跡探訪...
高宮町はミゾレが降りしきる...(´_`;)

Mさんとの待ち合わせ場所に到着!
ミゾレ(雪?)の降りしきる中、仁後城跡探訪スタート!
仁後城跡
城域北側にある駐車スペースにある案内板。
高宮町指定(現 安芸高田市史跡) 仁後城跡 (伝和智誠春館跡)

 別名「尼子城」ともいい城主は不明。
一説には尼子一族の城といわれ、毛利方の牛首城(佐々部氏)との間にたびたび戦いが行われたという伝説をもつ。
血刀を洗ったため、小川が桜色に染まったので、「桜小川」の名がついたのもその一つである。
 また別に、吉舎南天山城主和智誠春の居館ともいわれている。

 毛利隆元は永禄6年(1563)、出雲遠征の途中、式敷・蓮華寺で没したが、その前夜誠春の供応を受ける。
その場所は定かではないが、地理的条件や言い伝えなどからここに誠春の館があったとする説は、
うなずけるところである。

 城跡は、標高280mの丘陵頂部の主郭を中心に北西伸びる尾根筋、南東に伸びる丘陵上に七つの郭と
小規模郭群が設けられており、それらの周辺に配した竪堀、土塁などの遺構が確認されている。
仁後城跡
用地川(掘)を渡って、北側からアプローチ!
この直後、藪を掻き分け尾根に取り付こうとしたが、背丈ほどもある鉄柵と有刺鉄線に阻まれ入れない...
しばらくうろうろして、入れる所をさがしたが、無い!

雪も降って、テンションも低かったので、とりあえず次の牛首城跡に先に行こう。と言う事になり、
泣く泣く仁後城を後にする...
そして、もう戻って来る事も無い...

鉄柵なら獣避けだが、有刺鉄線とは明らかに人避けだ!
個人所有の土地かも知れないが、安芸高田市指定の史跡なのに...(´_`;)

(2014.4.12 追記)
Mさんとこの後、牛首城跡、面山城跡と一緒に探訪し、分かれた。
Mさんは毛利隆元逝去の地に寄った後、仁後城跡にもう一度行ってみたらしい。
もう少し上から入れる所があったらしいです。他のサイトにも梯子があったとか...

で、以下はおまけ。(別日撮影)
仁後城跡から西へ、国道433号に出たら北上、仁後城跡から6kmちょっとで「毛利隆元逝去の地」。
毛利隆元逝去の地
国道沿いに案内板があります。
毛利隆元逝去の地
人の家の庭とも思える坂を上がって行くと...
毛利隆元逝去の地
説明板。
毛利隆元逝去の地
石碑。
毛利隆元 湯灌石
近くに「毛利隆元 湯灌石」。

湯灌とは、亡くなった人を沐浴させる事だが、
湯灌石って何?




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 参考資料:広島県中世城館遺跡総合調査報告書