siro  金明山城跡(きんめいさんじょう)、比高440m
場所広島県東広島市志和町志和堀‎ 石垣も残る
石垣も残る
訪問日2012年3月11日(日)
備考新田義貞に従って北朝と戦った天野政貞が初代の城

郭図の表示
東の堀切から城域に入り、主郭を通り西へ縦走後、
南の郭群、北の郭群と探訪しました。


石垣
城域手前(東側)の鞍部を堀切状に仕切る石垣。
かな?
土塁
尾根上に土塁。
堀切
城域手前の堀切を見下ろす。
堀切
その堀切からA郭を見上げる。
金明山城跡
A郭。
土塁
A郭に土塁。
金明山城跡
B郭。
金明山城跡
C郭。
主郭
主郭。(東端から西側)
主郭
主郭。(西端から東側)
金明山城跡
D郭。
金明山城跡
E郭。
金明山城跡
F郭。
金明山城跡
G郭。
金明山城跡
H郭。
金明山城跡
I郭。
金明山城跡
J郭。
石垣
J郭と帯郭を隔てる石垣。
石垣
上記右端の方をアップ!
石垣
角度を変えて...。
石垣
これも...
石垣
これも...
石垣
これも...
石垣
I郭とH郭の間の石垣。
巨石群
H郭と主郭の間の巨石群。
金明山城跡
天気が急変!
K郭。
金明山城跡
L郭群を見下ろす。
金明山城跡
M郭。
金明山城跡
N郭。
通路
L郭群横の通路。
金明山城跡
もう一度A郭。(東向き)
土塁
A郭東端の堀切をかさ上げする土塁。
遠景
生城山城跡から見る金明山城跡遠景。
(まとめ・総評)
南北朝時代、新田義貞に従って北朝と戦った天野政貞が初代の城。
政貞は、米山城(生城山城)の初代城主天野顕義とは従兄弟の関係。
政貞から、顕元、元繁、元平、元氏と続き、一族の弘氏の二男元貞を嗣子に、
次いで、その養子隆重が財崎城に移り、金明山城には土肥氏(土肥藤左衛門)が入る事になる。
元氏の代には毛利氏に背後から攻められ、南西麓の横田で迎撃したとされる。

城跡の保存状況は比較的良好で、東端の堀切の切岸と、小規模ながら南端の石垣は見所です。

場所は、登山の方を参照下さい。
山頂まで続くバラス林道は比較的いい道なので、もしかしたら車で行けるかも...

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 参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書、 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山