鍋谷城跡 |
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毛利氏方、井原氏の城。神ノ倉山南西に位置する。
6代元師は元就の妹を室とした。
また、10代元尚は輝元の命で広島城築城にたずさわる。
関が原敗戦後、毛利家長州移封に従う事になる。
比高約175m
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城への入口手前に堀切。
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また堀切(薬研堀)。
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「鍋谷城跡」
井原氏についての説明が「藤原鎌足十代の末...」
入口から奥にかけて、
だんだん低くなっている変わった郭群。
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右上が「第1郭1の段」
左下が「第1郭2の段」
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「第1郭1の段」上の土塁
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「第1郭3の段」
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「第2郭」から「第1郭3の段」の石垣を見上げる。
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「第2郭」
奥に「ふんばり岩」
弓矢を射る時にこの岩で足をふんばっていたとか...
地形的に見てここに見張り台(櫓)があったのでは?
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「第3郭」
この奥に「大規模竪堀」とあったが、ここで引き返す。
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「第3郭」から「第2郭」の石垣を見上げる。
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「第4郭(井戸郭)」
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「第4郭」の井戸
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郭群から10分程下って「踊の段」
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「涼み堂跡」
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「涼み堂跡」横の小さな滝。
たしかに涼めそう。
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「馬場跡」
馬小屋でもあったのか...
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竹林を抜けて左折、墓場の先。
井原氏居館跡と思われる場所。
何の札とかも無いけど、
地図と本の説明文からここかと...
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北田城跡 |
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神ノ倉山北西の低丘陵の先端に位置する。
鍋谷城の支城ではないでしょうか。
比高約50m
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神ノ倉山登山口から10分ほどで「北田城跡」
主郭を中心にY字型の郭群で形成される。
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「櫓台」
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「櫓台」の上
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「櫓台」の上から「主郭」を見下ろす。
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(まとめ・総評)
井原氏の居城で、「中郡道(県道37号)」の抑えの要。
「中郡道」を5km程奥には「田屋城跡」「日下津城跡」等がある。
(登山日記参考)
2006年5月20日(土)神ノ倉山
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