屋島登山のついでに、屋嶋城跡探訪です。
内容は、ほぼ城門跡のみになっています。
土塁跡(北斜面)、北水門跡、南水門跡などもあるみたいですが、確認出来なかった...
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水族館の北側の展望地に、
ポツンとこの説明板がある。
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上記裏手に、
「200mに渡って土塁がある」との事で、
入山してみたが、よく分からない。
これの事かな???
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西尾根展望台から東を向くと、
城門跡が遠望出来る。
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そこの案内板。
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屋島寺の外、東側にある「血の池」。
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城の水の手(雨水?)だった可能性があります。
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城門上にある案内板。
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城門跡。
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上記を潜って(?)、左手の石積み。
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右手。
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下まで降りて、振り返る。
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上記中央辺りに、排水溝。
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「甦る屋嶋城」。(拡大!)
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下段奥から、振り返る。
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上の段にある、隅丸方形状遺構。
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先ほど、こちらを遠望した西尾根。
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西側より、屋島全景! 全山が城域になります。
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以下、「屋嶋城跡 -城門遺構整備事業報告書-」より
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CG復元図、その1。
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CG復元図、その2。
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イラスト復元図。
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屋嶋城は朝鮮式山城(古代山城)。朝鮮式は他に鬼ノ城(岡山)等があります。
朝鮮式の特徴として、山頂(主郭)周辺を土塁や石塁で囲んだ形となっている。
前記城門辺りの城壁(石積み等)が山頂(南嶺)を、ぐるッと取り巻いている様です。
確認出来なかった(私が)、土塁跡(北斜面)、北水門跡、南水門跡などは、その一部と思われます。
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663年、白村江の戦い(朝鮮半島)で、倭(日本)、百済復興軍は、唐、新羅連合軍に敗れる。
その際、大和朝廷は、本国の防衛の為、対馬から畿内に至る要衝に、いくつかの防御施設を築いた。
屋嶋城(667年築城)もそのひとつで、瀬戸内海の制海権を握る重要な位置づけとされた。
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