氷見二千石原(瓶ヶ森)キャンプ場(子持権現山登山)からの帰途に今治城に寄った。
さすがGWで、開場1時間後に駐車場に着いたが、既に満車で5~10分程度待たされた。
駐車場は70台弱、調べても近辺に駐車場は無い様だ...
そのせいか、場内はそんなに混んでなくて、ゆっくり見て廻れました。
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駐車場から橋(内堀)を渡って城内に入る。
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そこの案内板。
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橋から右手。
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そして左手。
内堀はかなりの広さ(幅)があります。
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橋を渡って右手に鉄御門。
手前が桝形になっています。
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上記正面に勘兵衛石。
この写真では大きさが分り難いので、
1枚前の写真を見て下さい。
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その説明板。
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右を向いて鉄御門(くろがねごもん)。
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鉄御門を潜ると、更に桝形。(右が鉄御門)
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鉄御門の礎石。
石灰石の為、脆くて再利用出来なかったとか...
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その説明板。
鉄御門(図中央)を挟んで、
武具櫓が逆S字型になっており、
桝形が2つあるのが分かります。
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城内にはいるとすぐに天守が目に入る。
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現在の城内の案内図。
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山里櫓。
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山里櫓の門を潜って、左手を見上げる。
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右下にはもう一つの橋と某門が見える。
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本丸に入る門ですが、
往時は手前が桝形でもう一つ門があった様です。
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上記門(右奥)を潜ると更に桝形です。
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天守入口で入場券を購入します。
係の方が説明してくれますが、山里櫓、武具櫓、御金櫓の入場券も兼ねてます。
なので、各櫓に入る前にまずここに来る必要があります。
(裏に各櫓の印欄があり、入場時に押印されます。)
山里櫓は古美術館、御金櫓は現代美術館になっています。
こちらの2つには入りませんでした。天守内の自然科学館もパスしました。(^^;)
さあ、天守の内部に入ります。
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模型。
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これも...
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上記、本丸、二ノ丸、三ノ丸となってますが、
パンフレットには、この二ノ丸と三ノ丸を合わせて二ノ丸となっている様です。
古地図にも三ノ丸まで記述があるので、以後上記右手前(北西域)は「三ノ丸」とされてもらいます。
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しまなみ辺りの海域図(航路図)ですが、
地形が実際とちょっとかけ離れてます...
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大名行列の模型。
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古地図。(拡大!)
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五輪塔、宝篋印塔。
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天守最上階から山里櫓を見下ろす。
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こちらは本丸。
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目線を上げて、奥に四国山地。
稜線付近に雲(霧)がかかってます。(^^;)
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ニノ丸。
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そこから目線を上げる。
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三ノ丸。
左奥は来島海峡。
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ニノ丸に下りて来ました。
鳥小屋があり、セキセイインコがいっぱい!
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ここで御金櫓方面に行ってみる。
御金櫓右手の石段を上がってみると、石垣の上に出て、眼下の内堀を一望できた。
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あの階段の上が月見櫓跡。
下に犬走りが見える
地盤が海辺の砂地なので、
土台の役目があるとか...
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月見櫓跡から南隅櫓跡に続く多門櫓跡。
本丸は、
月見櫓~南隅櫓~西隅櫓~北隅櫓を
結ぶ三方を多門櫓で結ばれていた。
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南隅櫓跡から西隅櫓跡に続く多門櫓跡。
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西隅櫓跡に、
対象十一年十一月二十二日
皇太子殿下御野立之所
とある。
本丸の吹揚神社裏手から、
直接こちらに上がれる様だ。
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月見櫓跡に戻って、天守を仰ぐ。。
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御金櫓から武具櫓(鉄御門)に続く土塀。
控え柱と鉄砲狭間がずらり!
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その土塀のある石垣の上から...
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蒼吹の井。
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藤堂高虎像。
平服なのが特徴の様です。
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藤堂高虎像横から、もう一度天守を仰ぐ。
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最後に武具櫓に入ります。
鉄御門の骨組み。
復元の為の雛形の様です。
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ここは鉄御門の真上。
左にずらりと石落としが並ぶ。
そう言えば、入り口で、
ここは骨組みを見て下さいと言われた。
忠実に再現してあるのでしょう。
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鉄御門の反対に周り、鉄砲狭間から覗く。
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帰りに、
入城時に気付かなかった高麗門跡。
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ここにもう一つ門があった様です。
右奥が鉄門。
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堀を挟んで武具櫓全景。
奥に天守がそびえる。
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1600年、宇和島城主の藤堂高虎が、関が原戦勝の功により、宇和島8万石に12万石加増され、国分城に入城。
(国分城:今治城の南東4.6km、今治城築城後に廃城)
1602年、今治城の築城開始、1604年に完成し、高虎入城。
1608年、高虎は今治城周辺の2万石を残し、伊賀、伊勢に20万石を与えられ、津藩主となる。
その際、養子の藤堂高吉(丹羽長秀の三男)が今治城主となる。
1610年、天守を丹波亀山城へ移築。移築後、本丸の北隅櫓を天守の代用とする。(諸説あり)
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1869年、版籍奉還、1871年、廃藩置県を経て、1873年頃、廃城。
↓とあるが、丹波亀山城が日本初の層塔型天守と言う説もある。(今治城からの移築ではない。)
※パンフレットの鳥瞰図には天守が描かれていない。
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