siro  大松山城跡(おおまつやまじょう) 比高415m(備中松山城 中世城跡)
場所岡山県高梁市津川町今津 何故か堰き止めてある切通
何故か堰き止めてある切通
訪問日2014年5月6日(火)
備考 秋葉三郎重信の築城、備中松山城の中世エリア

郭図の表示



備中松山城跡を後曲輪まで廻ったら、殆どの人は引き返して帰る。
しかし、マニアだけはここからが本番です。
現存天守も魅力的だが、あくまで近世で、他は殆どが復元されたもの...
この奥は、地味だが中世の遺構をそのまま残した、マニアにはお宝がいっぱいです。
と言う事で、行って来ま~す。

堀切
まずはこの橋を渡ります。

堀切と思われますが、石垣があるので、
当時も橋が架かっていたのでしょうか?
番所跡
その先、番所跡。
堀切
廻り込んで、先ほどの堀切。
大松山城跡
しばらく山道を上がって行きますが、
石垣だらけです。
大松山城跡
これも...
大松山城跡
これも...

こちら側(城郭より奥)は、
特に復元の跡も見られず、当時のままの様です。
相畑城戸跡
相畑城戸跡。
相畑城戸跡
その右手前奥、一段高くなっています。
せいろうが壇
せいろうが壇。

天神の丸跡の出丸の南側になります。
大松山城跡
分岐。
左が大松山城跡、右が天神の丸跡(本丸)です。
まずは右(天神の丸跡)へ行きます。
天神の丸跡
そこの案内板。(拡大
石段
自然石を加工した石段。
石段
天神社跡の石段が見えてきました。
あれは復元されたものの様です。
天神社跡
天神社跡(上記石段の上)の説明板。
天神社跡
拝殿跡。
天神社跡
本殿跡。
天神社跡
掘立柱建物跡。
天神の丸跡
天神社奥の郭。
天神の丸跡
本丸。
先ほどの分岐まで戻り、先に進む。
天神の丸跡の本丸と出丸の間は堀切だったらしいが、不覚にも見逃す。
先を急ぐあまり、単なる通路としての認識しかなかった...(´_`;)

大松山城跡
次の分岐にある案内板。

右が切通、左が大松山城跡。
まずは大松山城跡へ...
大松山城跡
その先にある案内板。(拡大
井戸跡
井戸跡のある郭。
井戸跡
その井戸跡。
二の丸
二の丸。
堀切
二の丸と三の丸の間の堀切。
箱堀状だったらしいが、見る影も無い。
帯郭
三の丸の帯郭。
三の丸
三の丸は藪だらけ。
大松山城跡
三の丸の北にある郭を見下ろす。
大松山城跡
三の丸の北西側、1段下にある郭。
大松山城跡
その先もう1段下。
大松山城跡
更に1段下。
大松山城跡
三の丸の西側にある郭。
大松山城跡
この辺りでは見なくなった石積みが、
ほんの申し訳程度...
堀切
二の丸と本丸の間。

二の丸(左)側は水平ですが、
郭の配置や地形から見て、
堀切だった可能性が高そうです。
本丸
本丸。
本丸
本丸の中央にある石組み。
祠でもあったのでしょうか?
さて、ここから先ほどの分岐まで引き返し、「切通及び番所跡」を目指します。
ここからは東の尾根をぐっと下った位置にあります。(南側から山腹を迂回しますが...)

大松山城跡
途中にある案内板。
番所跡
大池の前の番所跡。
大池
大池。
番所跡
切通の上の番所跡。
切通
切通。
南北に横切っている堀切です。
尾根先側(東側)は石垣になっています。
切通
「切通」となってますが、
北側は石垣で塞がれて切り通っていない。
切通
振り返る。
大松山城跡
石垣の上。
堀切
南側は堀切らしい地形です。
釣り橋
切通から少し戻ると、巨大な釣り橋がある。

ここに橋を作らなくても、
先程の切通から尾根続きで向こうに渡れるが...
大松山城跡
橋から大松山城跡方面。
天神の丸跡
同じく、天神の丸跡方面。
ネズミ
(おまけ)
ネズミがこっちを見て逃げて行きました。
うまく葉っぱの下に隠れたつもりでしょうが...
1240年、秋葉三郎重信の築城。
ここから始まり、戦いと城主の入れ替わりを繰り返しながら、拡張、整備され、近世の城郭に繋がる。
詳しくは、備中松山城跡で紹介したコチラ




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 参考資料:日本城郭大系(第13巻)広島・岡山、各種サイト