備中松山城跡を後曲輪まで廻ったら、殆どの人は引き返して帰る。
しかし、マニアだけはここからが本番です。
現存天守も魅力的だが、あくまで近世で、他は殆どが復元されたもの...
この奥は、地味だが中世の遺構をそのまま残した、マニアにはお宝がいっぱいです。
と言う事で、行って来ま~す。
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まずはこの橋を渡ります。
堀切と思われますが、石垣があるので、
当時も橋が架かっていたのでしょうか?
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その先、番所跡。
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廻り込んで、先ほどの堀切。
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しばらく山道を上がって行きますが、
石垣だらけです。
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これも...
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これも...
こちら側(城郭より奥)は、
特に復元の跡も見られず、当時のままの様です。
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相畑城戸跡。
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その右手前奥、一段高くなっています。
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せいろうが壇。
天神の丸跡の出丸の南側になります。
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分岐。
左が大松山城跡、右が天神の丸跡(本丸)です。
まずは右(天神の丸跡)へ行きます。
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そこの案内板。(拡大)
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自然石を加工した石段。
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天神社跡の石段が見えてきました。
あれは復元されたものの様です。
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天神社跡(上記石段の上)の説明板。
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拝殿跡。
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本殿跡。
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掘立柱建物跡。
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天神社奥の郭。
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本丸。
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先ほどの分岐まで戻り、先に進む。
天神の丸跡の本丸と出丸の間は堀切だったらしいが、不覚にも見逃す。
先を急ぐあまり、単なる通路としての認識しかなかった...(´_`;)
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次の分岐にある案内板。
右が切通、左が大松山城跡。
まずは大松山城跡へ...
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その先にある案内板。(拡大)
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井戸跡のある郭。
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その井戸跡。
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二の丸。
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二の丸と三の丸の間の堀切。
箱堀状だったらしいが、見る影も無い。
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三の丸の帯郭。
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三の丸は藪だらけ。
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三の丸の北にある郭を見下ろす。
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三の丸の北西側、1段下にある郭。
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その先もう1段下。
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更に1段下。
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三の丸の西側にある郭。
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この辺りでは見なくなった石積みが、
ほんの申し訳程度...
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二の丸と本丸の間。
二の丸(左)側は水平ですが、
郭の配置や地形から見て、
堀切だった可能性が高そうです。
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本丸。
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本丸の中央にある石組み。
祠でもあったのでしょうか?
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さて、ここから先ほどの分岐まで引き返し、「切通及び番所跡」を目指します。
ここからは東の尾根をぐっと下った位置にあります。(南側から山腹を迂回しますが...)
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途中にある案内板。
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大池の前の番所跡。
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大池。
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切通の上の番所跡。
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切通。
南北に横切っている堀切です。
尾根先側(東側)は石垣になっています。
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「切通」となってますが、
北側は石垣で塞がれて切り通っていない。
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振り返る。
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石垣の上。
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南側は堀切らしい地形です。
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切通から少し戻ると、巨大な釣り橋がある。
ここに橋を作らなくても、
先程の切通から尾根続きで向こうに渡れるが...
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橋から大松山城跡方面。
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同じく、天神の丸跡方面。
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(おまけ)
ネズミがこっちを見て逃げて行きました。
うまく葉っぱの下に隠れたつもりでしょうが...
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1240年、秋葉三郎重信の築城。
ここから始まり、戦いと城主の入れ替わりを繰り返しながら、拡張、整備され、近世の城郭に繋がる。
詳しくは、備中松山城跡で紹介したコチラ!
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