siro  鳥籠山城跡(とこのやまじょう)、比高60m
場所広島県広島市安芸区中野町
訪問日2008年2月17日(日)
備考元就に攻め落とされ、毛利氏に就いた阿曽沼氏の城
地形図の表示


主郭。
主郭から北郭群を望む。
ちょうど中央辺りの薄い緑の部分。
A郭から主郭を見上げる。
A郭。
一番広い郭だが、全面矢竹の藪。
B郭。
ここも半面が矢竹の藪で、
もう半面には鉄塔が...
C郭。
C郭からB郭を見上げる。
D郭(帯郭)。
左上がB郭、右側が谷。
E郭。
F郭。
G郭。
H郭。
I郭。
尾根沿いにここまで下って来た。
I郭からJ郭方面を見下ろす。
I郭から谷に降りるとJ郭。
谷からD郭方面を見上げる。
谷から主郭を見上げる。
K郭。
主郭とK郭や北郭群尾根の間は堀切になっているが、
K郭との間の中央は櫓台的になっており、
その両側が土橋状になっている。
後世のものでしょうか???
K郭と北郭群尾根との間の堀切。
鳥籠山城跡全景(北西側より)。
さらに鳥籠山城跡全景。
今回は行きませんでしたが、
左(北)の高所まで城域に含まれる様です。
(まとめ・総評)
足利氏の庶流である阿曽沼氏が、下野国阿曽沼郷から下向(承久の乱の功)して居を構えた城。
中世、最初は大内氏側だったが、後尼子氏に寝がえった事で、元就に責められ落城、
それ以後、毛利氏に就き、厳島合戦や山口遠征では毛利軍の先鋒を務める。
関ヶ原合戦敗戦後は、毛利氏に従って萩に移る。

JA安芸中野駅から西進、すぐ(100mちょっと)のT字路(右奥が歯医者、右手前がコンビニ)を右折、
道なりに300mちょっとで右手に見えるのが鳥籠山城跡。(B郭の鉄塔が見える。)
その先300mくらいで鋭角に右折し急坂を登ると、小団地があり、この辺りから登る。
(車は、上記鋭角に右折せず、少し先の広くなった路肩左側に駐車)

郭群の南東下に上記の小団地があり、間はコンクリートの壁で隔てられている。
コンクリート壁の西端の下(団地の直前)からアプローチ開始、
登山道は無いので急斜面を枯れ葉に足を滑らせながら登る。最初にC郭に到着。
主郭に向うが、まずB郭の藪に阻まれる。比較的藪の少ない場所を選び、両手で掻き分けながら進む。
A郭に着くがここも全面藪。同じ様に長い距離を縦断する。やっと主郭。
主郭→A→B→C→D→E→F→G→H→I郭と尾根を下り、J郭(谷)に降りる。
谷は随所段々状になっており、後世畑化されたものでしょう。
谷を西に抜けると、すぐに最初の団地入口200m北側に出ました。

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 参考資料: ひろしま昔探検ネット