siro  七曲城跡(ななまがりじょう)、比高60m
場所広島市安佐北区上深川町
訪問日2008年3月22日(土)
備考三方は絶壁、尾根は深い堀切、無数の竪堀で守られた城
地形図の表示


西側の谷筋から城域を見上げます。
かなり険しく、高さもあります。
そこから主郭北の堀切を目指しアプローチ。
堀切が見えて来ました。
辺りは岩が散乱、石垣が崩れたものでしょうか?
堀切。
右上が主郭。
堀切から主郭を見上げる。
岩が多いのは地形を形成する花崗岩が
露出したものでしょうか?
畝状竪堀になっています。
手前と奥に左下に向けて2本見えます。
全部で3本あります。
その1本。
もう1本。
主郭と反対の尾根にも小さな堀切があります。
そのすぐ奥にももう1本堀切があり、
真ん中が土橋になっています。
その土橋越しに手前と奥が堀になっています。

この辺りの地形は複雑で、堀切も大きく、
尾根続きの防御に力を入れています。
堀切から主郭によじ登る。
主郭の北(中央奥)が土塁状になっています。
A郭。
A郭下に石垣跡。
ここにも...
B郭。
B郭とC郭間の堀切。
C郭西の帯郭。
左上がC郭。
C郭。
D郭。
南少し右方面の展望。

正面奥は木ノ宗山城跡。

中央の自動車学校の地は、元は横山城跡。
唯一攻め易い七曲城の谷筋入口を、
防備する為に築城されたと推察出来ます。
E郭。
南少し左方面の展望。
中央の低地にある丘陵地は、
右が片山城跡。
左が松尾城跡
E郭(帯郭)の東側。
その辺りの石垣跡。
ここも...
更にここも...
その下(東側)は通路状になっている。
F郭南端は土塁状になっている。
左は堀切、右はF郭。
その土塁をF郭側から...
F郭G郭辺りは郭図の様に単純ではなく、
もっと複雑になっている(特に南側辺り)。
その辺り。
この石垣跡は綺麗に残っている。
F郭(北側辺り)。
F郭の北端も土塁状になっている。
そこから下の方。
左が最初の堀切、中央が土塁状で、
その右が竪堀状になっている。
最初の堀切を東下から見上げる。
更に東側へ...
竪堀跡。
ここも竪堀跡。
H郭。
館跡か何かでしょうか?
H郭とI郭の間の石垣跡。
I郭。
川(三篠川)からの比高は10mくらいです。
H郭、I郭辺りは後世のものかもしれません???
H郭の上は大きな竪堀状になっています。
川側から唯一取り付き易い谷の地形を
大竪堀でカバーしたのではないでしょうか?
七曲城跡全景。(南東側より)
三篠川が天然の堀の役目と、
川のカーブ(侵食)のおかげで東側は特に絶壁です。
七曲城跡全景。(東側より)
2つの堀切が確認出来ます。
(まとめ・総評)
この城に関してはまったく資料がありません。
南側に隣接する横山城(現在は高陽自動車学校)とは密接な関係だったのではないでしょうか。
北郭群と南郭群に分かれ、両郭群の間と北郭群の北に大きな堀切があります。
特に後者の堀切は大きく、防御機能は充分に果たしていたと思われます。

県道37号線の小河原口交差点(高陽・白木・広島東IC方面へのT字路)を西へ200m弱、橋を渡ってすぐ右折、
踏み切りを越え、道なりに直進すると高陽自動車学校の駐車場に出ます。
北東に見える尾根筋が七曲城跡です。
駐車場奥の谷筋の山道を北に入っていきます。

右に城域の絶壁を見ながら北上し、取り付き口を探します。
しばらくいくと絶壁が比較的緩斜面になり、そこを北東方向に斜めに登って行くと最初の堀切に着きます。
整備はされていませんが、遺構は多く残っており、山城としての防御機能も申し分ありません。
身近にこれほどの城跡が残っていたとは感動です。(^o^)/
実は三原のMさんのご希望でここに来たのですが、Mさんに感謝です!

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 参考資料: ひろしま昔探検ネット