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西側の谷筋から城域を見上げます。
かなり険しく、高さもあります。
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そこから主郭北の堀切を目指しアプローチ。
堀切が見えて来ました。
辺りは岩が散乱、石垣が崩れたものでしょうか?
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堀切。
右上が主郭。
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堀切から主郭を見上げる。
岩が多いのは地形を形成する花崗岩が
露出したものでしょうか?
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畝状竪堀になっています。
手前と奥に左下に向けて2本見えます。
全部で3本あります。
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その1本。
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もう1本。
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主郭と反対の尾根にも小さな堀切があります。
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そのすぐ奥にももう1本堀切があり、
真ん中が土橋になっています。
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その土橋越しに手前と奥が堀になっています。
この辺りの地形は複雑で、堀切も大きく、
尾根続きの防御に力を入れています。
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堀切から主郭によじ登る。
主郭の北(中央奥)が土塁状になっています。
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A郭。
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A郭下に石垣跡。
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ここにも...
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B郭。
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B郭とC郭間の堀切。
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C郭西の帯郭。
左上がC郭。
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C郭。
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D郭。
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南少し右方面の展望。
正面奥は木ノ宗山城跡。
中央の自動車学校の地は、元は横山城跡。
唯一攻め易い七曲城の谷筋入口を、
防備する為に築城されたと推察出来ます。
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E郭。
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南少し左方面の展望。
中央の低地にある丘陵地は、
右が片山城跡。
左が松尾城跡。
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E郭(帯郭)の東側。
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その辺りの石垣跡。
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ここも...
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更にここも...
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その下(東側)は通路状になっている。
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F郭南端は土塁状になっている。
左は堀切、右はF郭。
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その土塁をF郭側から...
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F郭G郭辺りは郭図の様に単純ではなく、
もっと複雑になっている(特に南側辺り)。
その辺り。
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この石垣跡は綺麗に残っている。
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F郭(北側辺り)。
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F郭の北端も土塁状になっている。
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そこから下の方。
左が最初の堀切、中央が土塁状で、
その右が竪堀状になっている。
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最初の堀切を東下から見上げる。
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更に東側へ...
竪堀跡。
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ここも竪堀跡。
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H郭。
館跡か何かでしょうか?
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H郭とI郭の間の石垣跡。
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I郭。
川(三篠川)からの比高は10mくらいです。
H郭、I郭辺りは後世のものかもしれません???
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H郭の上は大きな竪堀状になっています。
川側から唯一取り付き易い谷の地形を
大竪堀でカバーしたのではないでしょうか?
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七曲城跡全景。(南東側より)
三篠川が天然の堀の役目と、
川のカーブ(侵食)のおかげで東側は特に絶壁です。
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七曲城跡全景。(東側より)
2つの堀切が確認出来ます。
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(まとめ・総評)
この城に関してはまったく資料がありません。
南側に隣接する横山城(現在は高陽自動車学校)とは密接な関係だったのではないでしょうか。
北郭群と南郭群に分かれ、両郭群の間と北郭群の北に大きな堀切があります。
特に後者の堀切は大きく、防御機能は充分に果たしていたと思われます。
県道37号線の小河原口交差点(高陽・白木・広島東IC方面へのT字路)を西へ200m弱、橋を渡ってすぐ右折、
踏み切りを越え、道なりに直進すると高陽自動車学校の駐車場に出ます。
北東に見える尾根筋が七曲城跡です。
駐車場奥の谷筋の山道を北に入っていきます。
右に城域の絶壁を見ながら北上し、取り付き口を探します。
しばらくいくと絶壁が比較的緩斜面になり、そこを北東方向に斜めに登って行くと最初の堀切に着きます。
整備はされていませんが、遺構は多く残っており、山城としての防御機能も申し分ありません。
身近にこれほどの城跡が残っていたとは感動です。(^o^)/
実は三原のMさんのご希望でここに来たのですが、Mさんに感謝です!
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