siro  田渕ヶ城跡(たぶちがじょう)、吉常山城跡(よしつねやまじょう)
場所広島県安芸高田市吉田町国司
訪問日2008年3月9日(日)
備考田渕ヶ城(国司氏)、吉常山城(赤川氏)と謎?の城跡
地形図の表示


田渕ヶ城跡
西側の谷筋からアプローチ。
谷の途中まで竪堀になっている。
竪堀脇の石垣跡。
竪堀を見下ろす。
谷筋の途中から尾根に向けて直登。
尾根途中の郭跡。
尾根先近くの土塁。
別角度から...
土塁の上。
石が散乱している。
土塁先(尾根先端)の郭。
その下の方には石垣跡。
これも...
下山して、国司氏墓所。
吉常山城跡下の県道沿い(北下)にある。
その説明版。
県道から田渕ヶ城跡を見上げる。
田渕ヶ城跡遠景(北側より)。
中央の高地が城跡。
吉常山城跡
東側の谷筋からアプローチしたが、
結局途中から直登。
途中に石垣らしき跡が...
尾根先の郭跡。
これも...
添付地形図上の「×吉常山城」の辺りの郭。
奥(北側)が軽く土塁状になっている。
土塁の手前が堀切の様にも見える。???
その少し上辺りから郡山城跡を望む。
県道から吉常山城跡の尾根先を見上げる。
吉常山城跡遠景(北側より)。
中央手前の高所より右上に向けてが城域かな?
謎?の城跡
山頂辺りの郭跡?
その南下に帯郭。
ここも帯郭。
山頂の南西側に台状の郭が...
山頂との間は堀切状になっている。
堀切から見上げる。
その台状の郭。
その南側に帯郭。
中央左奥に見える尾根先が、
坂氏が寄った長見山城跡。(東側、望遠)
竪堀跡。
これも竪堀跡。
分かり難いが、これも竪堀跡。
添付地形図上の城域西端辺り。
堀切かな?

この先で西の峰との間が巨大な堀切状に...
このまま行くと先ほどの田渕ヶ城跡だが、
ここで引き返す。東へ...
東端の尾根(郭跡?)。
削平された(左側に盛り土)跡が...
やはり郭跡でしょうか?
そこから尼子軍が陣を張った青三井山を望む。
郡山城は木が邪魔して殆ど見えない。
全景(北西側より)。
中央の高所が山頂。
左下手前が吉常山城跡。
更に右を向けば田渕ヶ城跡が見える。
(まとめ・総評)
田渕ヶ城は毛利氏の重臣国司右京の居城。
高師泰の次男、師武が足利尊氏により、安芸国国司庄に所領を得た事から国司氏を名乗る。
有純は元就が幼い頃からの後見役。

吉常山城は毛利氏の家臣赤川筑前の居城。
赤川氏は小早川茂平の息子、忠茂を祖とする。
9代政忠の際、信濃の赤川村から毛利時親に従い、安芸に入る。
就秀が尼子氏の人質として送られた事は有名。後脱出、郡山城に帰還。

(アクセス)
田渕ヶ城は、県道29号線を向原から吉田に抜ける途中、
峠を過ぎて少しで右手に池の内池(池の内古戦場跡、右折で長見山城跡方面)。
そこから500mで右手の駐車スペースに車を停めて、目の前の谷筋からアプローチ。
そこから吉田に向けて800m弱で左に左折(ほぼUターン)、すぐ左に国司氏の墓所。

吉常山城は、国司氏の墓所のすぐ上の尾根。
そこから東へ歩いていくと、右手に林道があり、林道→尾根東側の谷筋→尾根とアプローチ。

(謎?の城跡について)
田渕ヶ城、吉常山城は「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」を見て行きました。
別に「毛利元就【西国の雄、天下への大知略】」に「謎?の城跡」の部分に「田渕ヶ城」と記載されていました。
「吉常山城」はもっと西の方(天神山城付近)に「吉常ヶ城」として記載されていました。
今回、田渕ヶ城、吉常山城はあまりにも城跡としては頼りないので(特に吉常山城は)、
「謎?の城跡」部分を目指して登って行きました。確かにここには城跡と呼べる遺構も多く、
憶測ですが、ここを中心に「田渕ヶ城、吉常山城」は出城(出丸)的な存在だったのではないでしょうか。
(時代により城の場所も性質も移り変わって来たとも言えますが...)

(まとめ)
どこも全て山道はありません。
木々を伝っての直登、下山、倒木を乗り越え、潜り、藪を掻き分け、棘で傷つき...
気力、体力、登山(に適した)靴、時期(藪が少なく、蝮、蜂のいない冬場)は必須条件です。

(比高)
田渕ヶ城跡
 県道から :65m
 江の川から:135m
吉常山城跡
 県道から :105m
 江の川から:125m
謎?の城跡
 池の内池から:90m
 江の川から :190m

back  comment


 
 参考資料:広島県中世城館遺跡総合調査報告書、毛利元就【西国の雄、天下への大知略】