|
南東斜面にある説明碑。(別日撮影)
|
|
南麓登山口から登り始めてすぐ土塁らしき道。
城跡とは関係ないかな?...
|
|
まず南西郭群の主郭を見上げる。
|
|
その主郭。
|
|
土塁跡。
|
|
土塁から先ほど見上げた逆に見下ろす。
|
|
帯郭。
|
|
帯郭から西側の展望。
池の内に続く街道が見える。
|
|
帯郭から北側の展望。
他の方向は木が茂っていて展望は無い。
|
|
A郭。
奥の壁は主郭。
|
|
B郭。
|
|
B郭にある石碑。
読めない...
|
|
C郭からD郭を見下ろす。
奥の1段下の暗い部分がD郭。
|
|
E郭。
ここで登山口からの比高は15m位でしょうか。
ここから登山口に停めた車が見えます。
これから南西郭群を後にして山頂郭群を目指す。
|
|
山頂、本丸でしょうか。
社があり、右の石碑には
「甲田町指定史跡 長見山城跡」と書いてある。
ここからも北側の展望が得られるが、
後は全く展望は無い。
|
|
本丸西側の郭。
藪だらけですがここも本丸の一部でしょうか。
|
|
その西下に小郭。
|
|
本丸南の帯郭。
その他北側にも幾つか小郭が見える。
これから山頂郭群を後にして東郭群を目指す。
|
|
東郭群に到着。
主郭西の広い郭。
|
|
主郭。
|
|
主郭東の小郭。
|
|
更に東の小郭。
|
|
更に東の先端の崖まで郭状の尾根が続く。
|
|
長見山城全景。(南側より)
|
|
長見山城全景。(北西側より)
|
|
山頂位置から北に300m(直線距離)くらいの所に
「渡辺七人塚」の標識がある。
民家の敷地内なので、家の方に断って入る。
その説明板。
|
|
渡辺七人塚。
元就らに奇襲され殺された渡辺一族の墓。
|
|
南西郭群の帯郭から西側に見えた街道を行くと、
約3.5kmで池之内古戦場に着く。
県道29号線にぶつかる一歩手前右側に説明板。
|
|
その横に石碑。
|
|
多分この辺りが古戦場ではないでしょうか。
池の対岸から北西を望む。
説明板にあった「腹切岩」は、
探したけど見つからなかった。
|
(まとめ・総評)
安芸毛利氏の祖時親が安芸国吉田に下向した折りに、
毛利氏重臣として随行し仕えた渡辺氏によって築城された(入城した?)。
渡辺氏は、毛利家の元就相続問題で相合元綱を推し、坂氏らと共に元就に滅ぼされた。
(渡辺勝は郡山城において元就に手ずから手討ちにされ、谷に叩き落とされたという説もある。)
その際、1人難を逃れた遺児渡辺通(勝の子)は山内氏(大内氏とも)の元で成人し、山内氏のとりなしで、
元就に許され家臣に復帰する。
当時大内方の元就は、大内氏の出雲遠征(尼子征伐)にしぶしぶ?同行した。
吉川興経(後元就らにより排斥)の裏切り等により、大内氏惨敗で敗走する絶体絶命の元就を、
渡辺通が岩見の降露坂で命を張って身代わりとなって助けた逸話は有名である。
県道37号をJR吉田口駅前から900m南下し、T字路を右折。道なりに600m弱で長見山南麓に到着する。
橋を渡ったすぐ右が登山口です。
登山口から数m程アスファルトになっています。ここに駐車しました。
ここの登山口からは、まず南西の郭群を目指します。
石碑のある登山口もある様です。多分本丸と西の郭群の間に出る登山口ではないでしょうか。
登ってみれば他にいくつも下山路がありました。
比高が低い為、登りやすい山です。ただ山道をはずすと急峻な崖となっている様です。
全山城塞化してあり、郭跡の数も半端でないくらい多いです。
東に三篠川、南北に小川が流れ、天然の堀の役目を果たしていた事でしょう。
見応え充分ですが、藪も多かったので、冬に来ればもっと楽しめたかもしれません。
|