siro  甲山城跡(こうやまじょう)、比高130m
場所広島県庄原市本郷町
訪問日2007年6月20日(水)
備考大内氏と尼子氏の間で揺れた山内氏の居城
地形図の表示


円通寺の駐車場にある案内板。
円通寺境内にある石柱。
この左側から登山道に入る。
本丸。
奥に高台がある。櫓台でしょうか。
二の丸(北側)。
左上が本丸。
二の丸(西側)から本丸を見上げる。
二の丸から下ってる竪堀。
二の丸西にある土塁。
二の丸東にある土塁。
A郭。
二の丸とA郭の間にある堀切。
左上が二の丸(高い)、右がA郭(低い)。
三の丸(南側)。
三の丸から南東方向の展望。
三の丸(東側)から左上が本丸、正面が二の丸。
三の丸西にある、二の丸から伸びる土塁跡。
B郭。
C郭。
C郭の先(西下)にある土塁。
C郭から北の堀切を見下ろす。
C郭から二の丸を見上げる。
D郭。
E郭。
E郭南下にある土塁。
F郭。
甲山城全景。(南東側より)
(まとめ・総評)
相模国山内庄から下向して来た山内氏(山内通資)の城。
通資は始め蔀山城を居城としたが、39年後、蔀山城を弟通俊に譲って、自らは甲山城を築き本拠とした。
山内氏は、比叡尾山城三吉氏、南天山城和智氏らと争っていたが、大内、尼子の争いが本格化すると、
始め大内氏に従ったが、尼子が台頭を顕して来ると、尼子氏に寝返った。(郡山合戦で敗退。)
また、大内氏が出雲(尼子氏)を攻めた折り、大内方として参陣するが、
大内方敗色濃厚となり、またもや尼子側に寝返る。(大内方敗退)
その後、毛利氏の配下となり、輝元が広島城に移った折り、供に移り、本城は山内氏居城の役目を終えた。

三次方面から国道183号線を庄原方面へ、平和町、山ノ内町(国道標識の下に表示)を過ぎ、
殿垣内の標識(これは国道標識は付いてない)を過ぎると、すぐT字路(七塚西交差点、信号有り)がある。
左折し、約1.5kmで左に「円通寺、甲山城跡」の標識がある。
ここを左折すると、「円通寺」の案内表示がいたる所にあるので、それに従って進む。
途中から車1台がやっと通れる狭い道になる。(1個所、切り返さないと曲がれないカーブもある。)
円通寺の駐車場に着くと、写真1枚目の案内板があり、写真2枚目の石柱がある所が登山口(大手道)です。

円通寺から山頂までは10分もかからないくらいです。
結構広く、全容は把握しきれませんでした。
展望は三の丸から南~東方面のみです。

円通寺からの比高、55m。
全景写真辺りからの比高、130m。

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 参考資料:なし