(まとめ・総評)
相模国山内庄から下向して来た山内氏(山内通資)の城。
通資は始め蔀山城を居城としたが、39年後、蔀山城を弟通俊に譲って、自らは甲山城を築き本拠とした。
山内氏は、比叡尾山城三吉氏、南天山城和智氏らと争っていたが、大内、尼子の争いが本格化すると、
始め大内氏に従ったが、尼子が台頭を顕して来ると、尼子氏に寝返った。(郡山合戦で敗退。)
また、大内氏が出雲(尼子氏)を攻めた折り、大内方として参陣するが、
大内方敗色濃厚となり、またもや尼子側に寝返る。(大内方敗退)
その後、毛利氏の配下となり、輝元が広島城に移った折り、供に移り、本城は山内氏居城の役目を終えた。
三次方面から国道183号線を庄原方面へ、平和町、山ノ内町(国道標識の下に表示)を過ぎ、
殿垣内の標識(これは国道標識は付いてない)を過ぎると、すぐT字路(七塚西交差点、信号有り)がある。
左折し、約1.5kmで左に「円通寺、甲山城跡」の標識がある。
ここを左折すると、「円通寺」の案内表示がいたる所にあるので、それに従って進む。
途中から車1台がやっと通れる狭い道になる。(1個所、切り返さないと曲がれないカーブもある。)
円通寺の駐車場に着くと、写真1枚目の案内板があり、写真2枚目の石柱がある所が登山口(大手道)です。
円通寺から山頂までは10分もかからないくらいです。
結構広く、全容は把握しきれませんでした。
展望は三の丸から南~東方面のみです。
円通寺からの比高、55m。
全景写真辺りからの比高、130m。
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