siro  鈴尾城跡(福原城跡)(すずおじょう(ふくばらじょう))、比高110m
場所広島県安芸高田市吉田町福原
訪問日2006年9月4日(月)
備考元就の母の里、元就誕生説の城
地形図の表示


入口にある説明板です。
木の階段で整備されてますが、
その間に石段跡がちらほら見えます。
「福原氏居館跡」
その説明板
「福原氏居館跡」に建つ「元就誕生地碑」

鈴尾城(福原城)誕生説と、郡山城誕生説がある。
石塁跡
5合目付近にある犬走り。
「居館跡」を飛ばして、
山麓に繋がるのではないでしょうか。
「井ノ壇」
荒れ放題。
「井ノ壇」の井戸
「井ノ壇」分岐の郭から上に3つ連なる郭群の、
一番上の段から下の2段を見下ろす。
本丸北西下にある郭。
山頂は3段の郭で構成されている様です。
一番下の郭から本丸を望む。
かなり荒れています。
「本丸」
いくらか落ち着ける場所があります。
「鈴尾(福原)城跡」説明板
「吉田町展望図」
北東側。
中央で重なっている山の、
手前から2番目が郡山城跡です。
一番手前の双子の山が、
尼子が陣所を張った青三井山です。
南西側。
右の丘陵地が桂城跡、
左の手前に突き出た尾根の先端辺りが雨乞城跡です。
本丸南東下にある郭。
その郭から本丸を見上げる。
下山して山裾を200m程西へ、
車を停めて5分程山道を登ります。
「福原氏墓所」
10代広俊、11代貞俊の墓と、
元就の母の墓跡(大正10年に猿掛城に移葬)。
広俊の息女、12代元俊の墓。
鈴尾城(福原城)全景。(北東から)
(まとめ・総評)
福原氏8代広俊の娘が毛利弘元に嫁ぎ、元就(と興元)を生む。
郡山合戦では、11代貞俊を郡山城に派遣し、9代貞俊と10代広俊は尼子の背後を突き崩している。
(8代と10代、9代と11代は同名なので紛らわしい。)
※「代」は大江広元から数えたもの。福原姓からではない。

山麓に数台停めれる駐車スペースがあるので、そこに車を停めます。
自分で柵の門を開けて入ります。
色々見ながらゆっくり登って山頂まで20分弱です。
「福原氏墓所」へは、下山して山裾を200m程西へ、車を停めて5分程山道を登ります。
やはり自分で柵の門を開けて入ります。
駐車場は無いので、その門の前がどん詰まりなのでそこに停めさせてもらいました。
車1台分程度の道幅なので、帰りは50m程バックで走行します。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」