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国道54号線の看板を目印に山裾に向かう、
2分で山道となり、
10分もたたないうちに尾根にたどり着く。
(写真はそこにある案内板)
ここで西郭群と中央郭群への分岐となる。
とりあえずは、右の西郭群を目指す。
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西郭群手前に堀切。
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もう1本堀切。
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西郭群の主郭。
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主郭の東にある土塁。
周りには矢竹が茂る。
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主郭を取り巻く帯郭の一部。
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帯郭から南に伸びる郭群。
2段下まで確認出来ます。
帯郭の西にも三角形の郭が確認出来たが、
鉄塔が建っていたので撮影意欲がそがれました。
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帯郭から主郭を見上げる。
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分岐まで戻って、南側の展望。
ここから中央郭群までは南側の展望が得られる。
他は一切展望無し。
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中央郭群に向かう道はやたら石が散乱している。
石塁でもあったのだろうか?
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中央郭群手前の岩と石の群れ。
門と石段かもしれない。
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中央郭群の主郭。
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主郭の南東の小郭。
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主郭の北東の郭。
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主郭と北東の郭の間の堀切(かな?)。
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堀切から主郭を見上げる。
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北東の郭から更に北東に、2段ほど郭群が確認出来た。
(地形図には載っていない。)
南東の小郭あたりから、
東郭群への道があるみたいだが、
辺り一帯荒れていてどこが道だか分からない。
断念して、折り返し下山。
東郭群は中央郭群から、4~50m低い位置にあり、
居館跡と考えられている。
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登山道の裏手に回ると、桂広澄の墓がある。
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星ヶ城跡から桂城跡を望む。(中央の独立丘陵地)
右の高所が西郭群、
左の高所が中央郭群、
左の端が東郭群。
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元就の重臣桂元澄は、厳島合戦のおりは、
桜尾城(廿日市)主となっており、
桜尾城は厳島合戦の本陣として、
凱旋式や陶晴賢の首実検を行った。
桂元澄の子孫、桂太郎氏(元内閣総理大臣)が、
大正元年にこの土地を当時の廿日市町に寄贈し、
現在は丘陵部を切り取り、桂公園となっている。
現在は海岸線から約500m内陸側に位置するが、
当時は海に面した要害の地であった。
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(まとめ・総評)
坂広明の嫡男広澄が坂氏を離れ、桂の地にあった当城に入り、桂広澄を名乗った。
元就相続の際、坂氏が相合元綱を担いだ為、広澄は責任をとって自刃。
その子元澄も後を追おうとしたが、単身桂城に乗り込んで来た元就に説得される。
その後元澄は毛利家重臣として元就に仕える。
各郭群は独立した城との説もある。
星ヶ城跡の駐車場に車を停め、山麓まで歩いて3分。
山麓から尾根の分岐まで10分、分岐から西及び中央郭群までどちらも2~3分程度。
東郭群は北東山麓から登れるのではないでしょうか? どちらにしても整備はされてないと思われます。
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