siro  中津城跡(なかつじょう) 平城
場所大分県中津市二ノ丁本丸 薬研堀越しに天主閣!
薬研堀越しに天主閣!
訪問日2017年11月25日(土)
備考 黒田官兵衛の築城、築城中転封した黒田氏に代わり細川氏が完成させる

現在地図  古地図



毎年のくじゅう遠征の時に『中津城』の案内が目に入り、気になってた。
くじゅう遠征では、スケジュールがタイトなので中々寄れなかったが、
今回は国東半島の低山×2の工程で、ちょっと余裕があったので寄ってみた。

天守閣(模擬天守)の入城は9時~17時なので諦めて、周辺の散策程度の探訪とした。

鳥居
南側のこの鳥居をくぐると駐車場で、
無料で自由に出入り出来ます。

ちなみに、往時はここに道(橋)は無く、
左右の石垣(石塁)は繋がっていました。
石垣
左(西側)を向くと堀と石垣。
石垣
ここの石垣は築城から何度も増築し、
積上げていった様です。
石垣
その痕跡。
石垣
右方向(東側)の堀と石垣。
石垣
上記石垣の下半分の色が違うは、
平成13~20年の修復工事で、
見えなくなっていたものを掘り出したとか...
案内板
堀の内側(本丸)にある案内板。

ここでパンフレットをゲット!
案内板横など各所に置いてあります。
今回は、ここ本丸をぐるっと一周するだけですが、
街中にもっと広範囲に繰り出せば、部分的に石垣などなどの遺構が残っている様です。

扇形石垣
扇形の石垣の説明板。
右下図の赤い四角の部分が残っている様です。
扇形石垣
これです。
左端に扇形の片鱗が辛うじて見える。
椎木御門
東側の椎木御門をくぐって本丸を出る。
案内板
そこにある案内板。
薬研堀
この案内板を見て、目線を上げると、
天主閣
この風景!
天主閣
ちょっと進んで別角度から...
石垣
黒田本丸の石垣と細川時代の石垣。
古代山城の石
黒田が持ち込んだ古代山城の石。
石垣
これです。

写真を撮り損ねたので、
ストリートビューより拝借。

右が黒田の石垣、左が細川の石垣。
黒田官兵衛
黒田官兵衛夫妻の像。
黒田官兵衛
その説明板。
古代山城の石
中津川沿いの石垣。
古代山城の石
左側が古代山城の石。
鉄門跡
中央の新しい(茶色っぽい)石の部分が、
鉄門があった所です。
鉄門跡
古代山城の石と鉄門跡。
一周して、駐車場に戻って来ました。後は天守閣を間近で見て帰るだけです。
その他、ゆかりの某神社がいくつかある様ですが、パスします。

天主閣
...
天主閣
天主閣に入れなかったので、
ストリートビューで...
奥平氏
最終的には、奥平氏の居城だった様です。

1587年、黒田孝高(官兵衛・如水)が、秀吉より豊前国の一部を与えられ、馬ヶ岳城に入城。
1588年、中津城の築城開始。
1600年、関ヶ原の戦いで、中津城から西軍の所領を攻めた。(徳川方に所属)
同年、嫡男長政の戦功により、筑前52万石に加増、転封となり、中津城の築城は中断。
同年、細川忠興が豊前国と豊後国の一部を賜り、入封。中津城大修築を開始。後、次男興秋に引き継ぐ。
1621年、中津城完成。
後、小笠原氏が入り、江戸時代の大半は、奥平氏(中津藩)の居城となる。

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官兵衛の石垣は、現存する近世城郭の石垣としては九州最古のもの。
本丸上段北面石垣には、黒田氏の石垣に細川氏が石垣を継いだ跡が見られる。(実物を見逃した!)

現在の模擬天守は、1964年、本丸北東側に観光用に建てられた。モデルは萩城天守閣。
往時、中津城には天守閣があったとか、無かったとか... ???

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中津城の歴史、年表の詳細(パンフレットより)
年表





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 参考資料:中津城公式ホームページ