siro  今治城(いまばりじょう) 平城
場所愛媛県今治市通町三丁目 来島海峡を一望!
来島海峡を一望!
訪問日2017年5月4日(木)
備考 藤堂高虎が自身の築城技術を駆使して築城した最新鋭の海城

郭図の表示(古地図)
在りし日の今治城(パンフレットより)



氷見二千石原(瓶ヶ森)キャンプ場(子持権現山登山)からの帰途に今治城に寄った。

さすがGWで、開場1時間後に駐車場に着いたが、既に満車で5~10分程度待たされた。
駐車場は70台弱、調べても近辺に駐車場は無い様だ...

そのせいか、場内はそんなに混んでなくて、ゆっくり見て廻れました。

橋
駐車場から橋(内堀)を渡って城内に入る。
案内板
そこの案内板。
内堀
橋から右手。
内堀
そして左手。
内堀はかなりの広さ(幅)があります。
桝形
橋を渡って右手に鉄御門。
手前が桝形になっています。
勘兵衛石
上記正面に勘兵衛石。

この写真では大きさが分り難いので、
1枚前の写真を見て下さい。
勘兵衛石
その説明板。
鉄御門
右を向いて鉄御門(くろがねごもん)。
桝形
鉄御門を潜ると、更に桝形。(右が鉄御門)
礎石
鉄御門の礎石。
石灰石の為、脆くて再利用出来なかったとか...
武具櫓
その説明板。

鉄御門(図中央)を挟んで、
武具櫓が逆S字型になっており、
桝形が2つあるのが分かります。
天守
城内にはいるとすぐに天守が目に入る。
案内図
現在の城内の案内図。
山里櫓
山里櫓。
天守
山里櫓の門を潜って、左手を見上げる。
橋
右下にはもう一つの橋と某門が見える。
門
本丸に入る門ですが、
往時は手前が桝形でもう一つ門があった様です。
桝形
上記門(右奥)を潜ると更に桝形です。
天守入口で入場券を購入します。

係の方が説明してくれますが、山里櫓、武具櫓、御金櫓の入場券も兼ねてます。
なので、各櫓に入る前にまずここに来る必要があります。
(裏に各櫓の印欄があり、入場時に押印されます。)

山里櫓は古美術館、御金櫓は現代美術館になっています。
こちらの2つには入りませんでした。天守内の自然科学館もパスしました。(^^;)

さあ、天守の内部に入ります。

今治城模型
模型。
今治城模型
これも...
上記、本丸、二ノ丸、三ノ丸となってますが、
パンフレットには、この二ノ丸と三ノ丸を合わせて二ノ丸となっている様です。
古地図にも三ノ丸まで記述があるので、以後上記右手前(北西域)は「三ノ丸」とされてもらいます。

今治城
しまなみ辺りの海域図(航路図)ですが、
地形が実際とちょっとかけ離れてます...
大名行列
大名行列の模型。
古地図
古地図。(拡大!
五輪塔、宝篋印塔
五輪塔、宝篋印塔。
山里櫓
天守最上階から山里櫓を見下ろす。
本丸
こちらは本丸。
四国山地
目線を上げて、奥に四国山地。
稜線付近に雲(霧)がかかってます。(^^;)
ニノ丸
ニノ丸。
今治城
そこから目線を上げる。
三ノ丸
三ノ丸。
左奥は来島海峡。
ニノ丸
ニノ丸に下りて来ました。
鳥小屋があり、セキセイインコがいっぱい!
ここで御金櫓方面に行ってみる。
御金櫓右手の石段を上がってみると、石垣の上に出て、眼下の内堀を一望できた。

月見櫓跡
あの階段の上が月見櫓跡。

下に犬走りが見える
地盤が海辺の砂地なので、
土台の役目があるとか...
多門櫓跡
月見櫓跡から南隅櫓跡に続く多門櫓跡。

本丸は、
月見櫓~南隅櫓~西隅櫓~北隅櫓を
結ぶ三方を多門櫓で結ばれていた。
多門櫓跡
南隅櫓跡から西隅櫓跡に続く多門櫓跡。
西隅櫓跡
西隅櫓跡に、
対象十一年十一月二十二日
皇太子殿下御野立之所
とある。

本丸の吹揚神社裏手から、
直接こちらに上がれる様だ。
天守
月見櫓跡に戻って、天守を仰ぐ。。
土塀
御金櫓から武具櫓(鉄御門)に続く土塀。
控え柱と鉄砲狭間がずらり!
天守
その土塀のある石垣の上から...
蒼吹の井
蒼吹の井。
藤堂高虎像
藤堂高虎像。
平服なのが特徴の様です。
天守
藤堂高虎像横から、もう一度天守を仰ぐ。
武具櫓
最後に武具櫓に入ります。

鉄御門の骨組み。
復元の為の雛形の様です。
武具櫓
ここは鉄御門の真上。
左にずらりと石落としが並ぶ。

そう言えば、入り口で、
ここは骨組みを見て下さいと言われた。
忠実に再現してあるのでしょう。
武具櫓
鉄御門の反対に周り、鉄砲狭間から覗く。
高麗門跡
帰りに、
入城時に気付かなかった高麗門跡。
高麗門跡
ここにもう一つ門があった様です。
右奥が鉄門。
今治城
堀を挟んで武具櫓全景。
奥に天守がそびえる。
1600年、宇和島城主の藤堂高虎が、関が原戦勝の功により、宇和島8万石に12万石加増され、国分城に入城。
    (国分城:今治城の南東4.6km、今治城築城後に廃城)
1602年、今治城の築城開始、1604年に完成し、高虎入城。
1608年、高虎は今治城周辺の2万石を残し、伊賀、伊勢に20万石を与えられ、津藩主となる。
    その際、養子の藤堂高吉(丹羽長秀の三男)が今治城主となる。
1610年、天守を丹波亀山城へ移築。移築後、本丸の北隅櫓を天守の代用とする。(諸説あり)
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1869年、版籍奉還、1871年、廃藩置県を経て、1873年頃、廃城。

↓とあるが、丹波亀山城が日本初の層塔型天守と言う説もある。(今治城からの移築ではない。)
層塔型天守
 ※パンフレットの鳥瞰図には天守が描かれていない。





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 参考資料:今治城 公式サイト