siro  三原城跡(みはらじょう) と、周辺の史跡
場所広島県三原市城町1丁目 三原城主歴代浅野家の墓
三原城主歴代浅野家の墓

訪問日2015年5月4日(月)
備考 小早川隆景の傑作、浮城と呼ばれた水軍城

郭図の表示
周辺史跡地図


頼兼城跡に続き、Mさんの案内で三原城(天主台)と近隣の遺構、史跡を巡りました。
小早川隆景の築城から、福島氏、浅野氏と城主を変えてきた三原城の歴史を探訪します。

場所は行ったり来たりしますが、時系列に紹介します。

順勝寺
順勝寺山門
順勝寺山門。
順勝寺山門
その説明板。
三原城内から移築された様です。
順勝寺山門
門の梁。
順勝寺山門
門の裏側。

右の扉は朽ちて壊れている。
門自体は右の家に依存しているが、大丈夫?
宗光寺
一株院跡
宗光寺の入口左手に、
「徳川家康宿泊所 一株院跡」とある。
コンクリート造りだが...
一株院跡
その中。
宗光寺山門
山道を上がって行くと、宗光寺山門。
宗光寺山門
その説明板。
こちらは新高山城内から移築された様です。
宗光寺山門
下から...
宗光寺山門
裏から...
浅野忠長の墓
左奥の墓所に、浅野忠長の墓。
浅野忠長の墓
その説明板。

(浅野)初代城主忠吉の子(養子)で、二代城主。
福島正之の墓
福島正之の墓。
福島正之の墓
その説明板。
妙正寺
三原城主浅野家歴代の墓
三原城主浅野家歴代の墓。

ここは遠くから眺めるだけで、
中には入れません。
三原城主浅野家歴代の墓
その説明板。

三代から十代、十二代城主の墓の様です。
宗光寺に二代の墓があるとして、
初代と十一代の墓はどこに?
銅鐘
境内に銅鐘。
銅鐘
その説明板。

小早川隆景公之智臣 井上伯耆守春忠
の名が見える。
妙正寺
そこから三原城(天主台)を見下ろしますが、
惜しいかな、マンションが邪魔します。
船入り櫓跡
船入り櫓跡
船入り櫓跡ですが、
南側から近付くと、まずこの石垣の角に出ます。
船入り櫓跡
上記から15m右に移動すると、この角。
足元の自然石は岩礁の様です。
船入り櫓跡
反対に左に進んだ所(西側)の石垣。
船入り櫓跡
北側から大きく回りこんで、
船入り櫓跡の上。
井戸跡
そこに井戸跡。
船入り櫓跡
消えかけた案内板の一部をアップ!
左上が天主台、右下が船入り櫓跡。
船入り跡
船入り跡。(南向き)

中央奥が船入り櫓跡、
当時はもっと左に開いて海に通じていました。
天主台周辺
三原城跡
三原駅のガード下を通って北進中、
本丸東側の石垣跡。
鍛冶曲輪跡
ガード下を潜り、天主台の東へ出て、
更に東へ50m、鍛冶曲輪跡。
鍛冶曲輪跡
ガード下から道を挟んで...
鍛冶曲輪跡
反対側まで石垣が続いています。
古地図
駅構内にある古地図。
天主台
構内から階段を上がると、天主台跡。
三原城跡
そこの説明板。

←拡大
天主台
一段上に上がると、北側にちょっと土塁。
バックは桜山(桜山城跡)。
天主台
天主台から東側の堀を見下ろす。
天主台
天主台を南西側から見上げる。
三原城跡
上記ちょっと西に、この説明板。
小早川隆景公之像
振り返ると、小早川隆景公之像。
天主台
天主台を西側から...
天主台
北西側から...
天主台
北側から...
三原城跡
天主台の北西にある水路。
この石垣は三原城のものを流用しているとか...
中門跡・臨海一番櫓跡
中門跡
中門跡付近の石垣。
中門跡
その石碑があり、右に橋がありますが、
正確にはどこが中門跡なのでしょうか?
中門跡
石碑横の案内板。
臨海一番櫓跡
上記から更に石垣が南に伸びますが、
これは明らかに後世(最近?)に積まれたもの。
臨海一番櫓跡
上記右端に、臨海一番櫓跡。
(おまけ)
明治中期頃、海から見た城跡(新人物往来社「古城写真カタログ」より)
建物は全て取り壊されていますが、手前が船入り櫓跡ではないかと思われます。
三原城跡
三原城は、広島藩の支城として、広島城と同じ様な歴史を辿った城です。

毛利輝元が広島城を築城したのと時を同じくして、小早川隆景も三原城を築城。
関ヶ原合戦後、福島正則が広島城に入り、子(養子)の福島正之が三原城に入った。
福島正則改易後、浅野長晟が広島城に入り、浅野一門家老の浅野忠吉が三原城に入った。
共に幕末まで浅野氏の預かるところとなる。

三原城は海に面し、水路を張り巡らせた「浮城」と呼ばれていたが、
広島城も三角州地形に出来た天然の堀に囲まれた島に、水路を張り巡らしていた。(参照)





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 参考資料:なし