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東側からの取り付きで急登にあえいでいる最中、
竪堀(堀切)がいくつも確認されました。
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最初にA郭に出ました。
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その左手には大きな井戸跡。
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A郭と井戸跡の間に竪堀?が...
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振り返ると、上方に続いています。
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井戸跡から左に巻いて主郭南の尾根を目指す途中、
大きな竪堀を跨ぐ。
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上記巻いた後、浅い谷筋から尾根に取り付く。
分かり難いですが、畝状竪堀(堀切)を見下ろす。
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主郭(B郭)方面の切岸。
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これも畝状...
中央と、左奥に...
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角度を変えると、
岩を削っているのが分かります。
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西側を通って主郭北側に移動中、
土塁と、両側は竪堀。
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これも竪堀。
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これも...
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主郭北側の堀切。
右側が主郭の切岸。
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堀切の途中が岩で止めてあります。
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主郭北側の尾根の西下に
道(遺構では無い)が通っていますが、
行く筋もの堀切で分断されています。
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この堀切は突き当りが土橋になっています。
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最奥(北側)の堀切です。
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これも堀切。
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北尾根から主郭を見上げる。
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振り返って尾根を見る。
一条だけ堀切が見えます。
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主郭北西角に道があり、主郭に登る。
かなり広い郭ですが、藪で全貌は望めません。
残念!
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B郭。
鉄塔のおかげで整備されているのかな?
西側は藪に覆われていますが...
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展望が無いので鉄塔に登る。松永湾方面。
Mさんに撮られました。(!^^)
8mくらいは登ったかな...
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少し左方向。
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下山中、C郭。
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A郭上の土塁と堀切。
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阿草城跡遠景。(東側より)
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(まとめ・総評)
古志氏(古志景勝)の居城。
1534年、景勝は毛利元就による宮城攻撃に参加、落城後に当城に入る。
後(1574年)、小早川隆景の備中攻撃に参加し、国吉城の合戦で討ち死にした。
「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」の郭図と「続山城探訪」の郭図を見比べて下さい。
幾分違いますが、全体的には「続山城探訪」の方が正しい様に思えます。
東側の竪堀(横堀)や主郭周りは「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」の方がしっくりきます。
先ほどの大町山城跡もそうでしたが、畝状竪堀(堀切)が特徴的です。
古志氏の特徴なのでしょうか? それとも土地の特徴なのでしょうか?
「小さな城に」とも思えますし、「小さな城だからこそ」とも思えます。
場所は、
大町山城跡の場所説明で出てきたトンネル近くの延倉橋を渡り、阿草地区に向かう。
峠の手前で右の山上に鉄塔を認める。ここが阿草城跡です。
※上記遠景写真の右手辺りから入山。入口は私有地かもしれないので注意!
※入山時、中電の巡視路らしき道が左手にあるが、右に採って尾根を登る。
※峠を更に進むと、西瀬戸尾道ICの東辺りの尾道バイパスに突き当たります。
本日、三原のMさんと3城廻った内の3城目です。
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