家紋の由来の前に系譜から...
・第51代 平城(へいぜい)天皇(774~824年)の第一皇子に阿保親王(あぼしんのう)(一品親王)。
※第50代に桓武天皇、第52代に嵯峨天皇。
・阿保親王は生前の階位が三品(さんぼん)、死後に一品(いっぽん)を贈られる。
・阿保親王と侍女(中臣氏)との間の御落胤、大江音人(おおえのおとんど)。
※大枝性は音人の2代前に桓武天皇から授かり、音人の代に「大枝」から「大江」に改性。
※先代大枝本主の養子説。中臣氏が音人を身籠もった後、本主に嫁ぎ産んだ説。と2説ある。
※音人から27代遡ると天穂日命(アメノホヒノミコト)の名があるが、もう神話の世界...
・音人から10代後に、大江廣元(おおえのひろもと)。廣元が毛利氏の直接の祖とされる。
※廣元は、当初中原性を称していた。
※廣元出自には諸説ある。先代維光を実父、中原広季を養父説、その逆の説など...
・大江廣元四男に季光(すえみつ)。相続した相模国毛利庄から毛利季光を名乗る。(毛利氏初代)
※まとめ:「大江」は性、「毛利」は名字、大江氏は公家、毛利氏は武士。
・毛利季光から2代後の時親(ときちか)が安芸国吉田庄に移り、安芸毛利氏の初代となる。
※安芸国吉田荘は、季光が軍功により源実朝(3代将軍)から与えられた。
・時親から8代後に弘元(元就の父)、更に3代後にに元就となる。
※周知の通り、弘元と元就の間に、興元、幸松丸がある。
・以後、隆元、輝元、秀就(長州藩初代)と続く。
上記、阿保親王(一品親王)の「一品」を図案化したものが、お馴染みの一文字に三ツ星の家紋です。
裏紋が「桐」となっていますが、これは天皇(皇室)の流れからくるものでしょうか?
毛利氏の祖は「大江廣元」とされていますが、
これは廣元の出自がはっきりしていない事から、後世に定められた事ではないでしょうか?
一文字に三ツ星を家紋としている事などから、毛利氏は阿保親王をかなり意識している様ですが...
(長州藩は参勤交代の折り、阿保親王の御陵(兵庫県)を必ず参拝したとか...)
江戸時代、藩体制になってからは、一文字のデザインにより宗家と各支藩を区別しています。
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