九州遠征(阿蘇登山)とセットで寄った ららぽーと福岡のガンダム立像、の更についでに寄って来た。
今回は、広大な城域の内、百間石垣、北石垣跡、小石垣跡、主城原礎石群の探訪、
まず百間石垣を見て、四王寺林道(車道)を挟んで、小石垣跡、主城原礎石群、北石垣跡と廻って来る。
結果、上記の様に廻ったが、百間石垣以外は何がどこにあるか情報不足で、現地判断となった。
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大野城跡の案内板で、
百間石垣の地図も載ってるが、
この辺りから見える範囲以外は何も無さそう。
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ここ(右)から登る。
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百間石垣が見えて来た。
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土塁と石垣で構成されてます。
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この先に進みかけたが、
何も無さそうだったので、
引き返して、
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こちらに下る。
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下って...
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...
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車道沿いにこれ。
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その隣に...
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百間石垣から車道を挟んで、
「←北石垣」の案内で入山。
1枚目の地図の通りだと、
この先に北石垣、小石垣、主城原礎石群
があるみたい。
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終始、急登!
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急登を終えて、登り切ると、この標識。
「北石垣・小石垣へ→ 30m」とあるが...
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この標識までが30m。(実際は10mくらいかも?)
「40m ←北石垣 小石垣→ 250m」
となってる。
北石垣方向はロープが張ってあり、
それを越えて、ちょっと踏み込んでみたが、
見つけられず...
諦めて、小石垣方面に行ってみる。
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すぐに「北石垣城門跡」とあるが、
やっぱり石垣は見つからず...
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左手に展望が開ける。
小石垣がどこにあるか分からずに進んでるが、
どんどん下って行く...
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下りきって橋が...
「250m」の表示だけでは分からなかったが、
結局、比高50mも下った。
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小石垣の案内板が崩れ落ちてる。
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その横に、小石垣口城門の礎石。
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小石垣はこれだけ...
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ズーム!
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比高50mも下ったのは誤算だった!
主城原礎石群を見る為に、比高50mを登り返して戻らないといけない。
こんなに下るんだったら、先に主城原礎石群に寄るんだった...
で、ここまで同行したS君は沢筋を下って車道方面に戻る道へ、
私は登り返して、尾根を辿って主城原礎石群へ...
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主城原礎石群に向かう途中、
左手の郭跡に礎石。
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上記左端にある石柱。
左に「大野城址」、右は消えかけて読めない。
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道端に礎石???
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ここは右手の郭跡に礎石。
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主城原礎石群分岐を右折。(右奥から来た。)
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礎石。
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この部分(上記礎石の周り)は、
石積みで縁取られ、一段高くなってる。
(ちょっと見難いか...)
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その背後に大きな土塁。
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振り返って、あの奥がメインかな?
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主城原礎石群。
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上記の奥に下る道があった。方向的にも合ってそうだが、やっぱり来た道を戻る事に...
(帰って、ストリートビューで調べたら、北石垣入口の270m南側に下りれたみたい。)
で、尾根を「北石垣・小石垣へ→ 30m」の標識の所まで戻って、下り始めると、
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右手に「北石垣跡」の標柱が...
登りの時は、
急登で下を向いてて気が付かなかった。
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踏み込んでみると、北石垣跡があった!
左奥のもうちょっと奥辺りが、
「40m ←北石垣 小石垣→ 250m」
の標識があった辺りみたい。
主城原から直接下りずに、戻ってよかった!
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程なく下山してS君と合流、岩屋城跡に向けて移動する。
途中、県民の森センターにS君がトイレを借りに寄る。
その間、私は自販機で買ったコーヒーを片手に色々と見て廻った。
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大野城について色々と...
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大野城跡。
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庭園がある。
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池があるので、
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ぐるっと一周してきた。
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大野城跡は、福岡県宇美町、太宰府市、大野城市に跨る周囲約8kmに及ぶ古代山城(朝鮮式山城)。
※古代山城の特徴:山上に、周囲を取り巻く様に土塁、石塁(石垣)で囲まれた城。
白村江の戦い(朝鮮半島)での敗戦後、唐・新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、
大宰府政庁防衛の為に、大和朝廷により水城、大野城と築城された。
大野城は、665年の築城、大宰府政庁の北側に位置します。
※白村江の戦い:唐・新羅連合軍に滅亡させられた百済の要請で、大和朝廷が救援として朝鮮半島に兵を派遣した戦い。
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結局、行ったり来たりして、累積比高180m、1時間20分の探訪となった。
望ましい順序としては、百間石垣の対岸から入山、登り中左手に北石垣跡、尾根を辿って 主城原礎石群、
尾根を戻って奥に下って 小石垣跡、沢沿いを緩やかに下って百間石垣前に戻ってくる。です。
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