siro  牛首城跡(うしくびじょう) 比高30m
場所広島県安芸高田市高宮町佐々部 生田川に囲まれる丘城
生田川に囲まれる丘城
訪問日2014年4月6日(日)
備考 生田川を天然の堀とする、面山城から移って来た佐々部氏の城

郭図の表示



先の仁後城跡を諦め、車で数分、牛首城跡にやって来た。
郭図の7郭から8郭(藪)、大竪堀、中竪堀、6郭(藪)、5郭、4郭、3郭、2郭、1郭と探訪。

牛首城跡
県道沿いの案内板に導かれて横道に入ると、
すぐにこの説明板。
牛首城跡
登城してすぐ、
7郭と8郭の間の竪堀だった様な...
牛首城跡
8郭と北先の郭の間に石垣。
牛首城跡
8郭東辺りから、北東に下る竪堀。
牛首城跡
これも...
牛首城跡
上記竪堀の外の土塁。
牛首城跡
6郭北から東へ下る竪堀。
牛首城跡
これも...
牛首城跡
6郭北東から東へ下る竪堀。
牛首城跡
6郭南から東へ下る竪堀。
牛首城跡
6郭から5郭へ向かう通路。
牛首城跡
5郭へ登って虎口を振り返る。

この写真では分かりにくいですが、
中央の木の向こうを、左から右へ下っている。
牛首城跡
5郭。
牛首城跡
5郭と4郭の間の石垣。
牛首城跡
4郭から3郭を見上げる。
牛首城跡
3郭の南面の西側を見上げると、
切岸に石積跡。
牛首城跡
これも...
牛首城跡
4郭にL字型(右と奥)の石塁と、左は3郭。
牛首城跡
上記左側は、3郭に登る通路になっています。
牛首城跡
その通路下の石垣。
牛首城跡
こちらは石塁側の石垣。
牛首城跡
これも...
牛首城跡
石塁の上。
牛首城跡
3郭南側。

3郭は、今は中央に(廃)舞台が建ち、
北と南に分断されています。
牛首城跡
3郭南西から4郭に通じる通路。
牛首城跡
3郭北側。
奥は2郭。
牛首城跡
3郭北側は、東西が土塁で囲まれています。
牛首城跡
1郭に建つ神社。
城主を祀る「辰之尾(龍能)権現社」ってこれかな?
牛首城跡
7郭から3郭に登る通路だが、
これは神社や舞台に向かう為に
造られたものと思われます。
牛首城跡
7郭から1郭を見上げる。
牛首城跡
そこから振り返ると土塁がある。
この辺りは土塁と堀で複雑な地形をしており、
どれが土塁でどれが堀なのか特定し辛い所もある。
牛首城跡
北側から遠景。
牛首城跡
これは南西側から。
(写真1枚目の説明板より)
 佐々部氏は、はじめ高階姓を名乗っていたが、志部府面山に城を築き、
佐々部地方を支配したことから、地名をとって佐々部氏と称した。
 初代若狭守承代(?~1527年)は、耕地が開け交通の便がよく、
また、生田川を天然の堀とするこの地(五十貫分)に城を移した。
以後五代、100年間の居城であった。
 佐々部氏は近隣の諸豪族、阿須那の高橋氏・甲立の宍戸氏などと姻戚関係を結び、
地位の保全を図った。毛利氏台頭後はその麾下に入った。

牛首城は、若狭城・龍之尾城・龍之口城などともいい、要害堅固につくられていた。
山城と平城の中間的な平山城(丘城)で、八つの郭と土塁・石塁・竪堀などの遺構が現存する。
「御殿屋敷」と呼ばれる郭の30mに及ぶ石塁、南東側山麓の20条の土塁(畝堀)は特徴的である。
最高所の郭は大手筋を見下ろす櫓台で、城主を祀る「辰之尾(龍能)権現社」がある。




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 参考資料:広島県中世城館遺跡総合調査報告書