siro  八ツ尾城跡(やつおじょう)、比高300m
場所広島県府中市出口町、本山町 弓形+Y字の堀切
弓形+Y字の堀切
訪問日2012年11月25日(日)
備考府中盆地を見下ろす備後守護杉原氏の居城

郭図の表示




妙見社
妙見社のある山頂直下の郭。
府中盆地
そこから府中盆地を見下ろす。
神辺城跡
神辺平野方面をアップ!
中央辺りに神辺城跡
南西の郭群
山道から少し藪に踏み込んで、
南西の郭群を見下ろす。

進んでも期待薄なので引き返します。
土塁
山道に横たわる土塁と、
横にある「八尾城跡→」の案内板を見て、
右上の主郭によじ登る。
主郭
主郭。
藪だらけ。
主郭
微かな踏み跡を辿って、
藪を掻き分け北側に移動すると、少し開ける。
主郭
主郭から北側に下って、
振り返って主郭を見上げる。
主郭北側の郭
主郭北側の郭。
堀切
更に北に下ると、
弓形(写真では確認出来ない)の堀切。
堀切
少し左に移動するとY字になってます。
堀切
その中に降りてみる。
堀切
Y字堀切の南西側。
堀切
同じく北西側。
堀切
東側。
堀切
東側の更に先。
堀切
上記堀切から更に北に下って行った鞍部。

堀切になっていますが、
左端は土橋か? 山道の為に埋められたか?
堀切
上記、横から見たところ。
八ツ尾城跡
幡立山城から見下ろした八ツ尾城跡。
八ツ尾城跡
麓(芦田川沿い)から望む八ツ尾城跡。
(まとめ・総評)
八尾城、八尾山城とも...

杉原氏の居城。
鎌倉時代初期、杉原光平が備後守護として入国した際に築城。
九代直光、十代満平の頃には、台頭してきた山名氏の下で、名ばかりの城主となる。
十一代、十二代の頃には、宗家八ツ尾杉原氏を置いて、木梨杉原氏や山手銀山城の杉原氏に主流が移る。
杉原理興が神辺城主となるまで、約300年の繁栄である。
(理興は神辺城に移った際に山名氏を名乗ったとされるが、元々山名氏(山名姓)だったとの説もある。)

今回は登山のついでの探訪だったので、広い城域の極く一部しか廻っていません。

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 参考資料: 広島県中世城館遺跡総合調査報告書、日本城郭大系(第13巻)広島・岡山