|
妙見社のある山頂直下の郭。
|
|
そこから府中盆地を見下ろす。
|
|
神辺平野方面をアップ!
中央辺りに神辺城跡。
|
|
山道から少し藪に踏み込んで、
南西の郭群を見下ろす。
進んでも期待薄なので引き返します。
|
|
山道に横たわる土塁と、
横にある「八尾城跡→」の案内板を見て、
右上の主郭によじ登る。
|
|
主郭。
藪だらけ。
|
|
微かな踏み跡を辿って、
藪を掻き分け北側に移動すると、少し開ける。
|
|
主郭から北側に下って、
振り返って主郭を見上げる。
|
|
主郭北側の郭。
|
|
更に北に下ると、
弓形(写真では確認出来ない)の堀切。
|
|
少し左に移動するとY字になってます。
|
|
その中に降りてみる。
|
|
Y字堀切の南西側。
|
|
同じく北西側。
|
|
東側。
|
|
東側の更に先。
|
|
上記堀切から更に北に下って行った鞍部。
堀切になっていますが、
左端は土橋か? 山道の為に埋められたか?
|
|
上記、横から見たところ。
|
|
幡立山城から見下ろした八ツ尾城跡。
|
|
麓(芦田川沿い)から望む八ツ尾城跡。
|
(まとめ・総評)
八尾城、八尾山城とも...
杉原氏の居城。
鎌倉時代初期、杉原光平が備後守護として入国した際に築城。
九代直光、十代満平の頃には、台頭してきた山名氏の下で、名ばかりの城主となる。
十一代、十二代の頃には、宗家八ツ尾杉原氏を置いて、木梨杉原氏や山手銀山城の杉原氏に主流が移る。
杉原理興が神辺城主となるまで、約300年の繁栄である。
(理興は神辺城に移った際に山名氏を名乗ったとされるが、元々山名氏(山名姓)だったとの説もある。)
今回は登山のついでの探訪だったので、広い城域の極く一部しか廻っていません。
|