(まとめ・総評)
能島村上水軍の長、村上武吉の城。
村上武吉は、毛利元就亡き後、一旦毛利の支配を離れるが、小早川隆景に攻められ、これに降る。
秀吉の天下後には、秀吉に従うことを良しとしなかった武吉は、再び小早川隆景に攻められ、
能島から隆景の所領竹原に移された。この時築城したのが鎮海山城である。
(隆景が自分の監視下に置いたとも、秀吉から庇護したとも見れる。)
遡って、厳島合戦では、能島村上水軍が味方をしたおかげで大勝した事が定説になっているが、
その事実については確証がなく、現在では見解が分かれている。
(村上武吉の説得には、小早川隆景が当たったとも、隆景の将 浦宗勝が当たったとも...)
場所は、
竹原の市街地東側、国道185号線と県道75号線が交差する新港橋東詰交差点から東へ200m、
又は、竹原小学校から南へ200mの丘陵先端になります。
登路は、竹原小学校の南から南東に行くと案内があり、舗装道を詰めた所から入山出来ます。
下山は、村上元吉の墓のある反対側(北西側)に降り、周回しました。
急いでいたので、全工程20~25分の探訪でした。
駐車場は無く、小学校の南面に路駐するか、小学校南東の神社?に停めさせてもらうしかないでしょう。
当日は、小学校でソフトボール?の練習?があった様で、皆さんそこに停めていたので...
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