siro  塩屋城跡(えんや(しおや)じょう)、比高約170m
場所広島県安芸高田市向原町戸島、甲田町上小原
訪問日2008年12月23日(火)
備考毛利氏の重臣、粟屋氏の居城
郭図の表示


塩屋城東麓にある案内板。
南西の谷筋から入り、途中から東に向けて直登、
B郭、F郭の間の登城口に出る。
その左手にある井戸跡。
その辺りからB郭を見上げる。
まずはF郭。
F郭南の堀切。
その東にある竪堀。
B郭南東下にある石積み跡。
G郭。
H郭。
手前に井戸跡。
I郭。
B郭。
B郭にある井戸跡。
C郭。
後ろはA郭。
A郭。
主郭(本丸)と思われます。
A郭南西下にある石積み跡。
A郭南西下にある竪堀。
J郭。
J郭に上がる登城口。
J郭北東にある畝状竪堀。
正面と右にもう1本見えます。
その右の竪堀。
横から見たところです。
その北にもう1本竪堀。
更に北にもう1本竪堀。
E郭北の堀切。
分かり難いがその北にもう1本堀切。(横方向)
奥に上記の堀切が見える。
E郭。
D郭。
奥に土塁が見える。
その土塁の向こう側から...
A郭、D郭の間の堀切。
A郭北端東にある竪堀。
振り返ってA郭側に石積み跡。
J郭登城口から出て、西に尾根上を行く。
振り返って門跡らしき石積み。
更に西に行くと鞍部が堀切状に見えるが、
東西に伸びる尾根が盛ってある感じです。
ここから谷筋を南下して下山。
塩屋城跡全景。(南東側より)
最上部がB郭でその右奥がA郭でしょう。
塩屋城跡全景。(東側より)
左からB郭、A郭、D郭、E郭となっています。
(まとめ・総評)
毛利氏の重臣、粟屋氏の居城。
粟屋氏は1336年に毛利時親が吉田に下向した際追従し、代々毛利氏に仕える重臣。
上小原(甲田町)を本貫地とする。

向原町の吉田別れ交差点(T字路)から1.8km北上、左折して狭い路地を道なりに行くと墓地に行き着く。
墓地前に駐車して、そこの谷筋から入山。しばらく谷筋を行くとF郭西下辺りと思われる広場に出る。
そのまま谷筋を行けば峠(鞍部)に至り、そこから東進すればJ郭登城口に着く。(下山時に使用した。)
今回は、F郭北の登城口目指して広場から急斜面を直登した。
一応登城口には出たが、どうも登城路ではない。(もっと奥(北)から巻いてくると思われる。)

「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」には“えんやじょう”とあり、
「日本城郭大系」には“しおやじょう”とある。
向原町と甲田町にまたがり、甲田町の町指定史跡になっているが、向原町に案内板がある。
大手道は本貫地の甲田町上小原(北)側の谷筋から入り、峠(鞍部)を経てJ郭登城口までと思われる。

本日4城廻った中の2城目です。

back  comment


 
 参考資料: 日本城郭大系(第13巻)広島・岡山