(まとめ・総評)
大内方の大須氏の城(大須三郎築城)。戸坂城の戸坂氏によって滅ぼされています。
資料不足で全容は明らかではありませんが、西に200mに大内越山(高天原)山頂があり、
その辺りまで城域に含まれていた可能性もあります。
西に大内越峠が通り、大内越山(高天原)と称する様ですが。
大内越山全域は矢賀町(東山麓一帯)に属し、矢賀の人々は矢賀山と呼んでいます。
(ちなみに、私は24年半前まで、矢賀に17年間住んでいました。)
尾長小、瀬戸内高方面から大内越峠に向かうと、峠を越えた辺りに右斜めに入るT字路があります。
その道をつづら折りに登って行くと分かれ道があり、右が火葬場、左が墓園です。
左の墓園方向に行き、突き当たってすぐ左にロータリー状の道があります。
ロータリー状の道の中が高台になっていて、写真1枚目の案内板があります。(現在地表示が少しおかしい。)
そのすぐ右(ロータリーの東)の墓群奥の藪の間から城跡に下ります。
車は何処にでも停められます。
高天原墓園からすぐ下が多々万比城跡だが、藪で城跡への下り口が見つからず、
一旦1つ北の支尾根を伝って東の麓に下りて、城跡のある支尾根を登り直した。
後世のものと思われる段々とか藪しか無く断念、下山して高天原墓園まで登り直す。
今度は、城跡南の谷からアプローチしたが、また断念し、再度正攻法で降り口を探す。
すると、藪の隙間から降り口を見つけ、下りてみる。あった!
(最初にこれを見逃した為、約1時間のロス。)
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