siro  多々万比城跡(たたまびじょう)、比高70m
場所広島市東区矢賀3丁目
訪問日2007年6月11日(月)
備考戸坂氏によって滅ぼされた、大内方の大須氏の城
地形図の表示


高天原(たかまがはら)慕園のある、
高天原から大内越(おおちご)峠を挟んで尾長山
までのハイキングコース案内板。
その案内板にある多々万比城跡の説明を拡大。
城跡少し下に、後世のものと思われる段々がある。
A郭。
B郭。
A郭にある窪み。井戸跡?
他にも幾つか同じようなものが...
A郭からC郭をみると土塁の様になっている。
D郭。
E郭からF郭を見上げる。
G郭。
多々万比城跡全景。(東側より)
南北の谷に挟まれた支尾根上にある。
(まとめ・総評)
大内方の大須氏の城(大須三郎築城)。戸坂城の戸坂氏によって滅ぼされています。
資料不足で全容は明らかではありませんが、西に200mに大内越山(高天原)山頂があり、
その辺りまで城域に含まれていた可能性もあります。

西に大内越峠が通り、大内越山(高天原)と称する様ですが。
大内越山全域は矢賀町(東山麓一帯)に属し、矢賀の人々は矢賀山と呼んでいます。
(ちなみに、私は24年半前まで、矢賀に17年間住んでいました。)

尾長小、瀬戸内高方面から大内越峠に向かうと、峠を越えた辺りに右斜めに入るT字路があります。
その道をつづら折りに登って行くと分かれ道があり、右が火葬場、左が墓園です。
左の墓園方向に行き、突き当たってすぐ左にロータリー状の道があります。
ロータリー状の道の中が高台になっていて、写真1枚目の案内板があります。(現在地表示が少しおかしい。)
そのすぐ右(ロータリーの東)の墓群奥の藪の間から城跡に下ります。
車は何処にでも停められます。

高天原墓園からすぐ下が多々万比城跡だが、藪で城跡への下り口が見つからず、
一旦1つ北の支尾根を伝って東の麓に下りて、城跡のある支尾根を登り直した。
後世のものと思われる段々とか藪しか無く断念、下山して高天原墓園まで登り直す。
今度は、城跡南の谷からアプローチしたが、また断念し、再度正攻法で降り口を探す。
すると、藪の隙間から降り口を見つけ、下りてみる。あった!
(最初にこれを見逃した為、約1時間のロス。)

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 参考資料: ひろしま昔探検ネット