一国一城令の折り、破壊を免れたという北ノ丸の石垣が、ずっと気になっていた。
で、今回、城山(姉ヶ山~横山)縦走のついでになるが、岩国城を探訪してきた。
大釣井→岩国城→北ノ丸→吉香公園→錦帯橋→吉川家墓所、の順で廻ってます。
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大釣井。
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その説明板。
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柵のせいで、ここまでしか見えない。
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二ノ丸から、城郭(復元)を見上げる。
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本丸に上がって、正面より。
中に入る...
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岩国城平面図。(拡大!)
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御城山平図。(拡大!)
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お城の模型。
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天守最上階より。
眼下に見える錦川は、天然の堀です。
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吉香公園をズーム!
内堀も見えます。
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天守台跡。
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岩国城の空堀。
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北ノ丸と本丸の間の堀切となってます。
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北ノ丸。
これから、
北ノ丸の北側に降りて、東回りで半周して来ます。
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見事な石垣!
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北ノ丸東側を南下して行く。
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角の石積みがキレイに残っています。
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「北ノ丸下」まで帰って来た。
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そこの石垣。
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普通の遊歩道にも、何気に石垣がある。
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二ノ丸南の五叉路近く、多分竪堀。
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日本庭園上の谷筋に、竪堀。
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これも...
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手前と奥に2本見える。
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これも竪堀。
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内堀。
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吉香神社。
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その説明板。
岩国藩主吉川氏の祖霊を祀る神社。
だとか...
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錦帯橋なめの岩国城。
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ズーム!
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吉川家墓所。
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山口県指定史跡 岩国藩主 吉川家墓所(拡大!)
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墓所案内図。
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これも...(拡大!)
お目当ての吉川広家のお墓は、
階段を上がった先にあります。
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左「8代藩主 吉川経忠」
右「経忠の正室」
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その他、藩主の子ら。
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右「7代藩主 吉川経倫」
左「経倫の正室」
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高い塀で囲まれ(区切られ)てる。
珍しい感じです。
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「5代藩主 吉川広逵の正室」
ん、広逵の墓はどこだ?
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「10代藩主 吉川経礼の継室」
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左「4代藩主 吉川広紀」
右「5代藩主 吉川広逵」
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右「2代藩主 吉川広正」
中「広正の正室」
左「3代藩主 吉川広嘉」
左に半分切れてるのが、
「9代藩主 吉川経賢」(^^;)
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右「4代藩主 吉川広紀の正室」
左「6代藩主 吉川経永の正室」
後は、省略...
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広家のお墓を目指し、
墓所右奥のこの階段を登る。
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3分程登って、
「初代藩主 吉川広家」
「没年 寛永2年(1625)9月21日 享年 65歳」
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隣に「みみずくの手水鉢」。
上田宗箇から広家に、桜の返礼として贈られた。
二人は共に千利休に師事し、交友があった。
とか...
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右から登って来たが、左に帰ります。
ロープウェイ駐車場近くに下ります。
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途中、
「森脇作右衛門長清入道竹隠」
「初代藩主 広家に殉死する」とある。
没年が、広家と同日だ! (=人=)
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以下、「2004/11/23 岩国城跡」と同じ説明。
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別名、横山城とも...
関ヶ原合戦敗戦後、防長二州に減封された毛利氏に伴い、
吉川広家(初代岩国藩主)もこの地に封じられた。それから8年をかけて築城された。
1608年(慶長13年)、築城(竣工)。
1615年(元和元年)、一国一城令により僅か7年で廃城。
1962年(昭和37年)、天守復元。(錦帯橋から見える位置に移動。)
1995年(平成7年)、天守台発掘復元。(下部約1/4が地中に埋まって残っていた。)
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西北東の3方を錦川に囲まれた天然の要害。
北方5kmに安芸国を境にする。更に2km先には福島正則築城の亀居城がある。
福島正則は関ヶ原合戦後、毛利の押さえとして岩国城と時を同じくして亀居城を築城した。
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