siro  洲本城跡(すもとじょう) 比高150m
場所兵庫県洲本市小路谷 港を見下ろす水軍の城
港を見下ろす水軍の城
訪問日2016年4月10日(日)
備考 淡路国の主城、安宅氏の水軍城。

郭図の表示
郭図の表示2



淡路旅行2日目朝、洲本城跡を訪れた。
駐車場のある馬屋(月見台)から、家族は天守に先行させ、急ぎ足で東側エリアを探訪し、天守で合流後、
西側から南の丸経由で戻り、最後に大手門を拝んで、駐車場に帰ってくる経路を採ります。

洲本城跡
前日夕方、
天守もどきを大浜海水浴場から見上げる。
(ズーム!)
洲本城跡
駐車場にある案内板。
洲本城跡
南の丸方面に向かう途中の石垣。
洲本城跡
南の丸隅櫓跡。

二重稜線の石垣になっています。
←マウスオンで、
新しく追加された石垣が分かります。
櫓を建てる為に追加されたのでしょうか。
洲本城跡
右を向くと...
櫓門でもあったでしょうか?
洲本城跡
上記門?を潜って左手の南の丸の石垣。
ここから東一の門を目指し、東進します。


洲本城跡
日月の池。
右奥に井戸も見えます。
洲本城跡
鉤型になっている東二の門。

形状からいけば、
左右の石垣間に門があったと思われますが、
舗装路のせいで礎石などは確認出来ません。
洲本城跡
東二の門を潜って振り返る。
洲本城跡
武者溜。
洲本城跡
東一の門。
洲本城跡
そこの石垣。
野面積みの古いものの様です。
ここから引き返して、東の丸を経由して本丸を目指します。

東の丸は、郭図には東二の門を西に入った辺りを示していますが、
ここでの紹介では、その北の何段にもなった郭群を示すものとします。

洲本城跡
東の丸高石垣。
洲本城跡
東の丸北東の角。
洲本城跡
東の丸に上がって、洲本城で一番古い石垣。
洲本城跡
上記右奥に続く。
洲本城跡
東の丸最上段。櫓台かな?
ここに「東の丸二段曲輪」とある。
洲本城跡
その櫓台?の西側の郭。
東の丸主郭といっていいのかな?
洲本城跡
その淵の石垣。
洲本城跡
そこから北側の帯郭を見下ろす。
洲本城跡
西側へ一段下がって、先程の郭方面を向く。
洲本城跡
そこから西側に虎口を潜って、振り返る。
洲本城跡
八王子木戸。
洲本城跡
東側から本丸を見上げる。
洲本城跡
本丸への大石段。
洲本城跡
大石段を登ると、先に虎口が見える。
洲本城跡
この虎口も鉤型になってます。

この左の石垣から奥に向かって門があった様で、
その礎石が残っている様です。
洲本城跡
虎口を潜って、本丸にある武者走台。
洲本城跡
武者走台の上から天守を望む。
洲本城跡
そして本丸を見下ろす。
洲本城跡
天守東側の台上に上がりました。
洲本城跡
そして、東下の郭を見下ろす。

その郭の左奥が八王子木戸。
更にその奥が東の丸。
洲本城跡
洲本港方面を望む。
水軍の城らしく海辺にそびえてます。

中央右奥に、
昨日遊んだONOKOROの観覧車が見えます。(^^)
ONOKORO
洲本城跡
左を向くと洲本の市街地を一望。
洲本城跡
天守もどきを見上げる。

昔は上に上がれた様ですが、
今は老朽化の為、階段が撤去されています。
洲本城跡
西側の虎口から本丸を出る。

ここも鉤型になっていて、
左右に門跡の礎石が見えます。
洲本城跡
虎口を出て、振り返る。
中央に鏡石が見えます。
洲本城跡
天主台の南西角。
洲本城跡
天主台の北西角。
洲本城跡
本丸西の通路から天守を仰ぐ。
洲本城跡
本丸から南西方向にある郭。(南の丸の西側)
洲本城跡
その西側は土塁になっています。
その向こう側(下)は石垣になっているので、
石塁が崩れたのか?元々土塁か?
洲本城跡
南の丸。
洲本城跡
南の丸の南面は石塁になっています。

左奥が例の二重稜線の櫓台(隅櫓)になります。
確認しませんでしたが、
先の土塁がある郭(右後方)から、
左奥の櫓台まで続いている様です。
洲本城跡
周回して来ました。
最後になるが、大手門を出て振り返ります。
洲本城跡
その横にある案内図。
洲本城跡
本当に最後になるが、
駐車場横にある馬屋(月見台)。
洲本城跡
そこから南東側の海岸線を見下ろす。
今回、西の丸方面は未踏です。
ここはとにかく石垣の多い城跡で、見所は満載!
時間があれば、西登り石垣、東登り石垣なども巡ってみたい所です。

(洲本城)
三好氏の重臣、安宅治興の築城。
信長から毛利氏に寝返った、当時城主(4代)だった安宅清康を羽柴秀吉が討伐。翌年、清康は城を明け渡す。

仙石秀久、脇坂安治と城主を替え、関ヶ原合戦で徳川方に寝返った脇坂安治が伊予に移封(加増)後、
池田忠雄が淡路国領主になった。その際に洲本城は廃城となり、岩屋城、由良城と本拠を移す。

大坂の陣(夏の陣)後、徳島藩主である蜂須賀氏に淡路国を加増、蜂須賀家家老の稲田氏が由良城代となる。
後、由良城を廃し、再び洲本城に本拠を移す。

以後、稲田氏が代々城代を務め、明治維新後に廃城。

洲本城の歴史(本丸説明板より)





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 参考資料:洲本城 WEBガイド