備後 鷲尾山城跡(よしだっちの城跡探訪記)
 
siro  鷲尾山城跡(わしおやまじょう)、比高220m
場所広島県尾道市木ノ庄町木梨 松永湾を遠望
松永湾を遠望
訪問日2011年1月9日(日)
備考木梨杉原氏、備後支配の拠点

郭図の表示




案内板
城照庵すぐ先突き当たりに、この案内板。
墓石群
上記左に採って少し先に、鷲尾山城関係の墓石群。
駐車場
林道を詰めると駐車場があり、
堀切が下がって来た空堀が見える。

この左手の階段から空堀に沿って堀切まで上がる。
堀切
堀切に到着。
この辺りは複雑な地形になっています。
鷲尾山城跡
A郭。
左手が一段高い(尾根上)。奥側が堀切。
鷲尾山城跡
尾根上から奥側(北西側)。
尾根が切り立ってます。
土橋
堀切に土橋。
奥側が城域。
土橋
土橋をななめ横側から。
鷲尾山城跡
堀切ちょっと先からB郭を見上げる。
かなりの高さと傾斜。
石積み
自然石の様ですが、石積み跡?
鷲尾山城跡
B郭。
石積み
B郭内に段差があり、そこに石積み。
石垣跡
B郭北西の淵に石垣跡。
石垣跡
これも...
石垣跡
同じく北東の淵に石垣跡。
鷲尾山城跡
B郭から北の展望。
鷲尾山城跡
南東方向を向くと、
左に段々の郭群、右に通路が主郭方向に続く。
鷲尾山城跡
C郭。
鷲尾山城跡
D郭。
石積み
その奥が石積み状に...
石垣跡
E郭西の淵に石垣跡。
石垣跡
これも...
鷲尾山城跡
E郭。奥がF郭。
石垣跡
F郭奥から通路に抜ける時、左上に石垣跡。
鷲尾山城跡
F郭の上の段に柱穴跡。
井戸跡
一旦F郭西下に降りて、井戸跡。
石積み
井戸跡から西下に登城路とも取れる通路?
その淵の石積み跡。
虎口
G郭から主郭を見上げる。
中央が虎口の様です。
鷲尾山城跡
H郭。
石積み
H郭から主郭を見上げると、石積み跡。
鷲尾山城跡
H郭から南の展望。

先だって開通した、
尾道松江自動車道(尾道~甲山間)が見える。
松永湾
ちょっと左を向いて松永湾。(ズーム)
石段
主郭に上がる石段。
これは遺構ではないかな?
主郭
主郭。
祠
祠と石積みがあります。
案内板
案内板。
虎口
虎口。
下はG郭。
基礎石
基礎石。
それらしき岩が点在してます。

ここまで主郭。
鷲尾山城跡
I郭。
石積み跡
I郭北端だったかな?
石積み跡。
鷲尾山城跡
J郭。
切落跡
K郭からJ郭を見上げる。
切落跡。
鷲尾山城跡
K郭から南の尾根。
この尾根先に出丸があるらしい。
虎口
J郭から西下に降りると、L郭に続く虎口。

L郭は東側が藪に覆われているが、
めげずに進むと...
馬場跡
開ける。
L郭西側(馬場跡)。
鷲尾山城跡
M郭東側の段。
鷲尾山城跡
N郭。
奥はM郭。
鷲尾山城跡
鷲尾山城跡全景。(南側より)
(まとめ・総評)
1336年、杉原信平、為平兄弟が木梨の地に入り、鷲尾山城を築き居城とした。
備後で名を馳せた木梨杉原氏だが、1543年、光恒の代に尼子晴久の手によって落城する。(光恒自害)
後、光恒の子 高盛が、大内義隆の力を借りて復帰、釈迦ヶ峰城と名を改める。
更に後、石原忠直に再び攻められ高盛は戦死、その子元恒は小早川隆景の力を借りて再度杉原氏復帰となる。
1584年、元恒は千光寺山に権現山城を築いてここに移る。
1591年、秀吉の山城停止令によって廃城となる。

以上、現地説明板の概要だが、「広島県中世城館遺跡総合調査報告書」には、
「1540年代頃には杉原氏は没し、渡辺氏(毛利氏家臣)が在城」とある。はてさて...

場所は、
尾道インター入口交差点から東進、1.3kmで信号交差点を左折北上、2.7kmで上記遠景を見た直後に左折、
400m先ですぐ右折北上、300mで「惣門跡」の案内板を見て、左前方に進む。
道なりですぐ写真1枚目の登山道案内板に突き当たり、左折で幾分悪路の林道に入る。
(上記右はすぐ先から登山道の様。案内板手前左には城照庵がある。駐車可?)
途中左手に墓を見、突き当りまで詰めると駐車場がある。

本日、三原のMさんと3城廻った内の1城目です。

back  comment


 
 参考資料:広島県中世城館遺跡総合調査報告書