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県道6号線を北上中に高橋城跡の看板が...
バックが高橋城跡です。
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そのアップ!
ここから車道を東に登って行きます。
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E郭。
この藪に踏み込んで、足元を見ると、マムシが!
もう藪に平気で踏み込める季節は終わりました。
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登りきって最初の郭から主郭を見上げる。
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主郭。
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主郭から北西方向の展望。
石見方面に抜ける街道です。
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A郭。
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B郭。
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B郭下辺りの石垣跡。
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これも...
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C郭。
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C郭西を南へ下る竪堀。
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神社のある郭。
祭りの準備でもしているのでしょうか?
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D郭。
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D郭先の堀切に降りD郭を見上げる。
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D郭下の堀切西辺りにある竪堀?かな?
写真を撮った時の記憶が定かでありません。
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更に奥の堀切。
堀切の奥は高さ5m程の斜面になっています。
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D郭下の堀切を東へ下る。
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見え難いが上記堀切に向けて下る左右2本の堀。
左が竪堀状。右が更に堀切状になっている。
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高橋城跡(生田城跡)全景。(北西側より)
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(まとめ・総評)
高橋一族生田氏の居城。
後、高橋久光の次男弘厚→弘厚の子忠光毛と拠って、利氏に対抗していたそうです。
生田氏は高橋氏滅亡後も残るが、後、毛利氏に攻められ、毛利氏家臣に組み込まれる。
「毛利元就兄、興元の正室 雪の方実家」とあり、興元の正室は高橋久光の娘であるが、
高橋久光が本城に拠った事実は付きとめられませんでした。
弘厚の前はやはり久光が拠っていたのでしょうか?
吉田町方面から県道6号線を北上、高田インター西交差点を過ぎて更に進むと、途中で国道433号線に入ります。
すぐにまた県道6号線に戻り500mくらいで、右手に1枚目の写真の場所が見えます。
そこを車で登って行くと途中から左に道がそれてダートになります。
これを更に車で登って行けば神社のある郭にでます。
(私たちはダート道分岐付近の路肩に駐車し、そこから歩いて登りました。)
城跡には神社や小屋、地蔵(巡礼用?)があり、ある程度整備されています。
主だった郭以外は藪だらけですが...
今回もいつものメンバー、Fさんと三原のMさんと3人でした。
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