 |
登山口横にある案内板。
|
 |
登山口付近。
中央近くに見える墓の右を急登するより、
墓の手前を左折して階段を登る方がいいでしょう。
※)添付の登山道図参照
|
 |
途中、石塁跡。
|
 |
D郭(郭図参照)の土塁を見上げる。
|
 |
その足元には石が散乱。
石垣でもあったのでしょうか。
|
 |
B郭。
|
 |
C郭。
|
 |
A郭。
奥に土塁がみえる。
ここが多分本丸ではないでしょうか?...
|
 |
D郭。
|
 |
D郭の土塁。
|
 |
D郭近くの竪堀を見下ろす。
|
 |
E郭。
|
 |
F郭。
|
 |
F郭に井戸跡らしきものが...
|
 |
F郭に一段高い郭が...
|
 |
G郭奥の堀切。
中央に通路がある。
|
 |
下山して、東麓から見上げる。
|
 |
上記麓に見えるシルバーの(私の)車の
20m右くらいから竪堀らしきものを見上げる。
|
 |
祝屋城(岩屋城)跡全景。(東側より)
|
 |
祝屋城(岩屋城)跡全景。(南側より)
|
 |
犬飼平古戦場。(祝屋城(岩屋城)跡麓より)
この山上から尼子軍を攻撃した。
|
 |
犬飼平古戦場。(逆方向より)
左奥は祝屋城(岩屋城)跡。
|
 |
(おまけ)
犬飼平古戦場(国道54号線)を少し奥へ...
利屋城跡の石碑発見。(添付地図参照)
この北西に城跡かな?...
|
 |
帰りに次回予定の長見山城跡の確認に寄る。
(安芸高田市甲田町小原)
石碑発見。
この付近には登山口は無いようだ。
|
 |
長見山を一周してみたが、
登山口は見つからなかったので、諦める事にする。
とりあえず、長見山遠景。
|
(まとめ・総評)
五龍城主宍戸元家が五龍城を嫡子元源に譲り、深瀬に祝屋城(岩屋城)を築城し、そこに隠居した。
以後深瀬氏を名乗って宍戸氏の分家となるが、元家次男の深瀬隆兼が城主時代、
尼子の第一次毛利征伐遠征(郡山合戦は第二次)があり、尼子軍(新宮党)は五龍城を攻めようとしたが、
祝屋城(岩屋城)の深瀬隆兼に犬飼平古戦場で撃退された。
その戦勝を祝い、大内義隆の勧めで「岩屋城」から「祝屋城」に改名した。
関が原敗戦後、深瀬氏は毛利氏長門移封に従い、その際廃城となる。
※)宍戸元源:五龍城主時代に毛利元就と同盟。その際、元就娘と元源の孫隆家が婚姻。
国道54号線を北上、吉田町を過ぎ、甲田町のトンネルを潜って5kmちょっと、
右に車の離合も難しそうな橋があり、そのすぐ先を左折し(※1)、直後にまた左折します。
200m弱で右に祝屋城跡の案内板があり、その前に空き地がありますが、
私有地なのか駐車場なのか分からないので、添付地図の駐車スペースの所に駐車しました。
三次方面から来る場合は、国道54号線を南下、三次市と安芸高田市の境から600m弱で右折します。(※1の場所)
獣避け?の網が張ってあるが、案内板の横の裂け目から入り、登り始めます。
まず階段の道の方をお勧めです。(添付登山道図参照)
AルートとBルートがあります。どっちもどっちですが、Bルートの方がいいかもしれません。
私は登山口が分からなく、散々迷ったあげくAルートを見つけ登りました。
下山はBルートを見つけたのでこれを使ってみました。
D郭に登る道が無いようだったので、苦労してよじ登りました。
E~G郭は容易に行けます。
堀切より先は少し行ってみましたが、多分何も無いと思われます。
|