siro  田屋城跡(たやじょう)、比高約100m
場所広島県安芸高田市向原町長田
訪問日2006年12月4日(月)
備考小早川、周防の援軍と伴に尼子勢の猛攻に耐えた城
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田屋城山麓(カタクリの里)にある案内板
※)8/23撮影
最初の竪堀を見下ろす。
この竪堀は登山道から下にしか存在しない。
それを外から見てみる。
※)9/4撮影
次の竪堀を見下ろす。

前回(8月)は道が荒れていて、
ここまでたどり着けなかった。
この季節、蝮、蜂、蜘蛛の心配もないので、
藪を掻き分け、進んでみました。
その竪堀を見上げる。
この竪堀は尾根まで続いている。
四郭 荒神社跡。
その左奥に土塁が...
次の郭までかなりの高さがあります。
三郭 井戸跡。
四郭から右側に登る道があったが、
気付かず土塁側から急登する。
井戸は完全な形で残っています。
山頂の郭(二郭、本丸)の全景。
二郭にある虎口跡に残る石垣。
これも...
分かり難いが虎口の全景。

主郭 本丸。
奥に大きな土塁が見える。
土塁の上から向こう側を見下ろす。
先ほどの竪堀が伸びて来て、堀切となっている。
堀切に下りてみる。
登山道側を見下ろす。
反対側を見下ろす。
堀切の対岸から本丸を見上げる。
20mくらいはあるだろうか?
山道がなければ、とても登れるものではない。
尾根まで伸びる竪堀を麓から見上げる。
田屋城全景。(北東から)
中央高所が本丸、その左の窪みが堀切(竪堀)。
(まとめ・総評)
内藤氏の城。
郡山合戦で、周防の援軍を撃退しようとした尼子軍の猛攻に、小早川援軍、田屋城、日下津城と伴に耐え、
退陣した尼子軍を伏勢と伴に追い詰め、戦将の湯原弥次郎を討ち取った。

県道37号線を広島から向原へ、向原の町中へ入る手前で右奥の方に「カタクリの里」の看板が見えます。
そこを目指して右折します。
カタクリの里は季節はずれのせいか荒れていますが、時期(春)の時は整備されて駐車も可能では...
とりあえずは道端に駐車して登ります。

分岐で案内板は直進を示していますが、この道は一時的に藪で荒れています。
夏はこのせいで一旦諦めました。
結局分岐を左折でも行ける様でしたが、この道は急登になります。
直進で竪堀を渡る時は渡しの丸木が腐っているので気を付けて下さい。

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 参考資料: H・L・C「広島近郊の山城と史跡」