siro  南天山城跡(なんてんざんじょう)、比高約130m
場所広島県三次市吉舎町吉舎
訪問日2006年9月30日(土)
備考尾道街道から三次盆地へ入る要衡を占める城
地形図の表示


尾崎山の堀切。
城跡とは無関係で、江戸時代、里道として作られた。
奥に善逝寺の屋根が見える。

左が南天山(城跡)で、右が尾崎山(公園)。
堀切から左へ上がればすぐ清正公です。
その裏から登山道が始まり、
数分間こんな藪の道が続く。
最初の郭跡。
荒れ放題です。
北の郭群はほぼこんな感じで荒れていて、
移動するのも困難です。
ここも...
ここも...
ここも...
北の郭群最奥。
やっと郭らしく見えます。
そこから竪堀が下っています。
振り返れば大井戸跡。
荒れています。

ここから主郭群を目指して右(西側)の斜面を
登らないといけないのですが、
間違えて直進して急斜面をよじ登ってしまいました。
その途中の石段跡。
間違えて直進したので、
主郭群4番目の郭を飛び越して、
3番目の郭に到着しました。
その上の二の丸。
かなり広いようですが、
倒木と藪で郭の半分は埋まっています。
二の丸から本丸を見上げる。
本丸。
奥に土塁が見えます。
土塁の上。
土塁から先の堀切を見下ろす。
荒れていて分かり難いが20m以上の高低差がある。
この先に郭がもう1つあるが、
降りるのは無理そうなので、諦めて折り返す。
主郭群4番目の郭。
そこにある石垣の跡。
主郭群4番目の郭から大井戸跡のある郭を見下ろす。
清正公まで降りると、やっと視界が開けます。
馬洗川の下流方向を望む。
尾崎山の堀切に架かる橋を渡って、
尾崎山公園奥の展望台(尾根の先端)へ。
そこから振り返って南天山を望む。
その後ろはこんな感じ。
下山して登山口にある案内板。
案内板その2。
吉舎の町中。
町屋のある風景。
巴橋から南天山を望む。
以下、吉舎歴史民族資料館より...

中央の尾根の先端で白く光っているのが南天山城跡。
城跡から出土したものでしょうか。
南天山城跡の写真。
南天山城跡の模型。
(まとめ・総評)
和智氏の居城。
初代実成が和知庄(旧三次市)に入り和智を名乗り、二代資実が吉舎に移住し南天山城を建てた。
毛利隆元(元就の長男)が、九代誠春の接待を受けた後、急死した事は有名。(暗殺説もある。)
誠春は元就に誅殺(理由は諸説ある)され、南天山城は毛利氏に接収された。

尾崎山の堀切の西に駐車場。尾崎山の北を迂回して来ます。
もしくは堀切東から南200m橋の近く、馬洗川右岸に数台停めれる駐車スペースあり。

堀切から本丸まで1時間弱。
清正公横の登山口から先は一切展望なし。
展望を楽しむなら堀切を渡って、尾崎山公園の展望台へ...

とにかく倒木や藪で荒れ放題。特に北郭群はひどくてほとんど横目に通過しただけです。
北郭群は段差があまり無いので、整備されていれば郭を踏みしめながら登って行けたと思われます。
かなりの規模の城跡なので残念でしかたありませんでした。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」