siro  桂城跡(かつらじょう)、比高80m
場所広島県安芸高田市吉田町桂
訪問日2006年9月4日(月)
備考郡山合戦で南の抑えとなった桂元澄の城
地形図の表示


国道54号線の看板を目印に山裾に向かう、
2分で山道となり、
10分もたたないうちに尾根にたどり着く。
(写真はそこにある案内板)

ここで西郭群と中央郭群への分岐となる。
とりあえずは、右の西郭群を目指す。
西郭群手前に堀切。
もう1本堀切。
西郭群の主郭。
主郭の東にある土塁。
周りには矢竹が茂る。
主郭を取り巻く帯郭の一部。
帯郭から南に伸びる郭群。
2段下まで確認出来ます。

帯郭の西にも三角形の郭が確認出来たが、
鉄塔が建っていたので撮影意欲がそがれました。
帯郭から主郭を見上げる。
分岐まで戻って、南側の展望。
ここから中央郭群までは南側の展望が得られる。
他は一切展望無し。
中央郭群に向かう道はやたら石が散乱している。
石塁でもあったのだろうか?
中央郭群手前の岩と石の群れ。
門と石段かもしれない。
中央郭群の主郭。
主郭の南東の小郭。
主郭の北東の郭。
主郭と北東の郭の間の堀切(かな?)。
堀切から主郭を見上げる。
北東の郭から更に北東に、2段ほど郭群が確認出来た。
(地形図には載っていない。)

南東の小郭あたりから、
東郭群への道があるみたいだが、
辺り一帯荒れていてどこが道だか分からない。
断念して、折り返し下山。

東郭群は中央郭群から、4~50m低い位置にあり、
居館跡と考えられている。
登山道の裏手に回ると、桂広澄の墓がある。
星ヶ城跡から桂城跡を望む。(中央の独立丘陵地)

右の高所が西郭群、
左の高所が中央郭群、
左の端が東郭群。
元就の重臣桂元澄は、厳島合戦のおりは、
桜尾城(廿日市)主となっており、
桜尾城は厳島合戦の本陣として、
凱旋式や陶晴賢の首実検を行った。

桂元澄の子孫、桂太郎氏(元内閣総理大臣)が、
大正元年にこの土地を当時の廿日市町に寄贈し、
現在は丘陵部を切り取り、桂公園となっている。

現在は海岸線から約500m内陸側に位置するが、
当時は海に面した要害の地であった。
(まとめ・総評)
坂広明の嫡男広澄が坂氏を離れ、桂の地にあった当城に入り、桂広澄を名乗った。
元就相続の際、坂氏が相合元綱を担いだ為、広澄は責任をとって自刃。
その子元澄も後を追おうとしたが、単身桂城に乗り込んで来た元就に説得される。
その後元澄は毛利家重臣として元就に仕える。
各郭群は独立した城との説もある。

星ヶ城跡の駐車場に車を停め、山麓まで歩いて3分。
山麓から尾根の分岐まで10分、分岐から西及び中央郭群までどちらも2~3分程度。
東郭群は北東山麓から登れるのではないでしょうか? どちらにしても整備はされてないと思われます。

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 参考資料:H・L・C「広島近郊の山城と史跡」